新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

アニメ風バイオレンス

 レイバンのようなサングラスをかけ、拳銃を持った男のアニメが表紙を飾る本書、作者のジム・ケイスは米陸軍のOBだという以外はわからないと裏表紙に紹介がある。著作は50冊に及ぶというし、本書もシリーズの第一作という位置づけだ。

 

 表紙の男が主人公のジョン・コーディだろうが、銃身の上に冷却用の穴が開いていることから拳銃はオートマグナムだと思う。だとすると手の大きな(たぶん体も)男に違いあるまい。コンパクトなマグナム拳銃などはないのだから。

 

 ベトナムで戦い、帰国してからもCIAのミッションで南米などでダーティな任務に就いていた彼は、裏切りに会って引退・隠遁していた。そこに昔の上司がやってきて、復帰を求められた。昔の仲間3人と共に、公にできないミッションをしてほしいという。仲間を救う意味もあって引き受けたコーディに、シリアでハイジャックされいずこかに連れ去られた乗客・乗員120名を救出する仕事が与えられる。

 

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 パレスチナ解放ゲリラ軍(PLGF)の犯行で、48時間以内にイスラエルが捕らえている仲間を解放しないと、(アメリカ人の)人質を一人づつ殺すという。時間が足りず、正規軍の派遣は間に合わない。そこでコーディ「軍団」が救出に向かったわけだ。

 

 柘植久慶作品などにも良くあるシチュエーションだが、正直4人だけで100人近いゲリラが立てこもる要塞から120名もの人質を奪還するなど考えにくい。それでもコーディたちはそれに成功する。

 

 かなり都合のいい話が積み重なったストーリーだし、コーディたちが武器を選ぶシーンにも違和感があった。サイレンサー付ウジを主武器に、9mmパラベラム弾の銃に統一すると言いながら、予備の武器は各自勝手に選びオートマグ拳銃も登場する。爆破の名人がC5爆薬をもつのはいいとして、誰もバックアップ(副爆破担当)の用意をしていない。さらに、誰も衛生兵の装備をしたとの記述がない。

 

 全300ページの中盤くらいから疑問符が頭に浮かんできて、あとは軽く読み流した。アニメの原作くらいなら何とか評価できるのだが、どうにもリアリティがない物語で、ただバイオレンスな場面が続くだけでした。

「正義の石臼」を挽く労働者

 本書(1993年発表)は先日紹介した「密造人の娘」に続く、マーガレット・マロンの「デボラ・ノットもの」の第二作。前作に登場したデボラの周りの人たちが再び登場し、その枠も広がっている。

 

 前作で6月の地方判事選挙に敗れて2位に終わったデボラだったが、その後判事の一人が急死し「繰り上げ」の形で地方判事に就任する。そして判事としての務めを始めた彼女に、新しい事件が降りかかる。

 

 時期は7月、普通米国南部といえば暑い夏が想定されるが、高山(2,000m級の山)も長い海岸線もあるノースカロライナでは、さほど過ごしにくくはない。州の裁判所も3層構造で、最高裁控訴審の裁判官はともかくデボラのような地方判事には秘書も付かない。一人で法廷に立ち、検事補が読み上げる罪状と(いれば)弁護人の陳述を聞いてその場で判決を下す。

 

 酔っ払い運転や家庭内DV、コソ泥、薬物不法所持などの容疑者がデボラの前に立つ。彼女の先輩たちは地方判事のことを「正義の石臼を挽く労働者」と自嘲して言う。しかも法廷の裁きが済めば、選挙で選ばれたものとしての「奉仕活動」が待っている。デボラの場合は、不幸な身の上の人達を収容する建物を建てる手伝いだ。

 

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 今は<コーヒー・ポット>の向かいにある土地に、女性のシェルター用の建物を援助活動家のルーと一緒に建てている。この辺りは非常に狭い土地柄、誰もが知り合いでその付き合いは何代にも及ぶ。みんな子だくさんだが、離婚・結婚を繰り返す人も多く人間関係は複雑だ。デボラ自身父親と最初の妻の間に生まれた兄や、自分と同じ母親の兄をたくさん持っている。

 

 最初の妻の子ハーマンには、16歳の娘アニー・スーがいる。彼女やその同級生の女の子たちは、建築現場にやってくるイケメンに熱を挙げている。しかしある日その男はアニーに乱暴しようとした。駆け付けたデボラが救うのだが、すでに何者かが男を殴り殺して去った後だった。前作同様狭い世界の乱れた男女関係、特に白人と黒人の関係を巡って噂は沸騰する。加えてハーマンが何者かに毒を盛られて重体に陥る。殴り殺された男の死体からも微量の毒物が・・・。

 

 バラエティある事件を裁く法廷シーンに見るべきところはあるものの、前作ほどの評価はできません。多分キリスト教的な何かが僕に欠けているので作者の意図が見えないように思います。引き続き、残り2作を読んでみましょう。

市民財団所長ジェニー・ケイン

 1980年代には米国で、女性を探偵役にした女性作家が何人もデビューしている。

 

サラ・パレツキー V・I・ウォーショースキーもの

スー・グラフトン キンジー・ミルホーンもの

 

 彼女らに少し遅れ1985年に本書でデビューしたのが、ナンシー・ピカードである。作者は「自分の能力に自信のあるヤワではない女性探偵」を考えて、ジェニファー(ジェニー)・ケインを創造した。舞台はマサチューセッツ州ポート・フレデリック、ボストンに近い港町である。ジェニーはこの市で、雇われ市民財団所長をしている。集まる寄付をどう市民の役に立てる事業に廻すかが、彼女の仕事だ。

 

 嫌われ者の父親と若い義母、精神病院に入っている母親、ウマの合わない妹という家族がいる30歳のスリムな女性だ。地元の不動産屋が貸してくれた全長42フィートのトロール船を、アパートメントに改造して住んでいる。恋人のジェフリーは30歳代のバツ2の刑事、お互いのアパートを行き来する仲だが、結婚には踏み切れていない。

 

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 ポート・フレデリック市では、長年ロブスター養殖をしていた老人が海で行方不明になり、遺産相続人もヴェトナムで戦死していたことから養殖場を買い取り、その再開発計画を進めていた。しかしその起工式の日、建設工事の現場監督の男が自身の軽トラで式場に突っ込み、市長らを追い散らした上で桟橋から転落死してしまう。

 

 この再開発工事は市から諮問を受けた委員会が計画をまとめたのだが、その夜委員会委員の建築家の小屋が放火され、建築請負人の車もタイヤを斬られる。さらに死んだはずの遺産相続人が生還し、建設計画に待ったをかける。市長以下再開発に賭ける意気込みが大きいだけに、事態は深刻度を増す。

 

 死んだ現場監督の男と揉め事を起こしていたジェニーは否応なく事件に巻き込まれ、捜査にあたるジェフリーから軽トラのブレーキに細工がしてあったことを聞き、事件解決に乗り出す。米国北部にあるとはいえメキシコ湾流の影響で、この市の初夏は蒸し暑い。そんな中、ジェニーは諮問委員会のメンバーらから事情を聴くのだが、嫌われ者の父親が市に戻ってきて、あまつさえ容疑者にされてしまう。

 

 作者の文体は読みやすく、300ページあまりがとても短く感じられました。特にすごいトリックもアクションもないのですが、気楽に読めるミステリーだと思います。ただ、あまり多くは翻訳されていないのが残念ですが。

志津三郎兼氏の長脇差

 前の短編集でおもわぬ名探偵ぶりを発揮することになった木枯し紋次郎だが、本書では危うく(?)渡世から足を洗いそうになる。すでに20年近く放浪の旅をしていて、特に20歳を過ぎてからは、血を見ないでは終わらない事件にばかり巻き込まれている紋次郎である。表題作「お百度に心で詫びた紋次郎」では、渡世人の暮らしの過酷さや足を洗いたいと思ってもそんな僥倖は望むべくもない理由が綴られている。

 

 まず過酷さだが、決まったねぐらもなく(博打以外は)定収入のない生活。どこかで野垂れ死ぬか、つまらぬいざこざに巻き込まれて命を落とすか、それを恐れながら毎日を過ごすのだ。

 

 一方ある程度長く渡世人をやっていると、街道の顔役・貸元などと関係ができてしまう。足を洗ってどこかに落ち着いても、過去のいきさつが追いかけて来て安住させてくれない。顔役のネットワークはこの時代でも結構迅速な情報伝達をする。また落ち着いた先の住民も、元渡世人には辛く当たる。さらに、足を洗って食える商売が見つからないことが多い。商売の芸があれば、とっくにそれで生計を立てているはずだからだ。

 

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 表題作では足を洗う渡世人を更生させる元顔役のところに、言伝を伝えにいった紋次郎が逗留してしまって野良仕事までする。しかしそこにはやはり血の雨が降り、紋次郎に優しくしてくれた元顔役たちが惨殺される。復讐を誓った紋次郎は、相手10人の顔と名前をしかと覚え、確実に全員を抹殺することを考える。

 

 この時紋次郎が抜く長脇差は、とうていやくざの持てるものではなく、名工が打ち上げた名刀(志津三郎兼光)。これも道連れになった武士が主君の銘刀を研ぎに出すために持っていて、戦いの中で死んだ武士から手に入れたものだ。紋次郎自身の脇差が折れてしまったから、これで闘わざるを得なかったわけ。上記10人のやくざは、不幸なことにその餌食になってしまう。

 

 本書にはこれらのように「剣」にまつわるエピソードが目立つ。水戸藩の武士で23歳で鏡新明智流免許皆伝になったが、その後渡世人に身を落とした稲妻の音右衛門との一騎打ちシーンもある。やくざ剣法など通用せず、紋次郎は死を覚悟するのだが・・・。

 

 5つのエピソード、いずれも珠玉の中編時代劇。作者の筆はこのころピークをつけたのかもしれません。次の短編集が楽しみです。

救いのない物語は始めから

 1950年発表の本書は、以前「殺意の迷宮」を紹介したサスペンス作家、パトリシア・ハイスミスのデビュー作である。普通ミステリー作家は、ホームズやクィーンもしくはマーロウなどの探偵ものを読んで、ミステリーを書こうとするものだ。しかし作者は、デビューまでにほとんどミステリーの類を読んだことは無いという。

 

 作者の長編小説は20作ほど、大半が邦訳されている。有名なのは第三作「太陽がいっぱい」で、アラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督で映画化され大ヒットした。本書も1951年にアルフレッド・ヒッチコック監督で映画化され、やはりヒットしている。有名な作品ゆえ長く本棚にはあったが、まだ読んでいなかった。それがNHKBSで映画が放映されたことをきっかけに「見てから読もう」という気になり、今回手に取ったもの。

 

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 若手建築家のガイは結婚3年目の妻ミリアムと離婚したいのだが、ミリアムがウンと言わない。しかし実はW不倫で、ガイにはアンという恋人が、ミリアムにも愛人がいる。妻のわがままに手を焼いていたガイだが、偶然長距離列車でブルーノーという青年と知り合う。彼は富豪の息子だが、父親が吝嗇にカネを抱え込んで自由にさせてくれないと不満を募らせている。

 

 二人きりで酒を酌み交わすうち、お互いの苦境がわかり、ブルーノーは「交換殺人」の提案をする。ミリアムを殺してやるから父親を殺してくれというのだ。互いにアリバイを用意しておけば、全く疑われることはない。一笑に付したガイだが、ブルーノーは本気で計画を練り始める。そしてブルーノーは10日後にミリアム殺しを決行する。

 

 作者の筆は、堅実だが名誉欲の強いガイ、性格破綻気味だが母親想いのブルーノー、賢い娘アンらの性格をヴィヴィッドに描く。強要されたガイは、拳銃を手にブルーノーの父親を狙うのだが・・・。

 

 映画は小説の1/2くらいのところで、一気にクライマックスに向かう。ヒッチコックにとっては「交換殺人」のアイデアと、ガイの苦悩を描ければ十分だったのかもしれない。しかし筆者はその後のストーリーを積み上げていき、最後は救いのない結末まで書ききった。「殺意の迷宮」もそうだったが、これはミステリーというより「救われない犯罪者の物語」である。

 

 デビュー作には全てが出るといいますが、パトリシア・ハイスミスもそうだったということですね。