新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

志津三郎兼氏の長脇差

 前の短編集でおもわぬ名探偵ぶりを発揮することになった木枯し紋次郎だが、本書では危うく(?)渡世から足を洗いそうになる。すでに20年近く放浪の旅をしていて、特に20歳を過ぎてからは、血を見ないでは終わらない事件にばかり巻き込まれている紋次郎である。表題作「お百度に心で詫びた紋次郎」では、渡世人の暮らしの過酷さや足を洗いたいと思ってもそんな僥倖は望むべくもない理由が綴られている。

 

 まず過酷さだが、決まったねぐらもなく(博打以外は)定収入のない生活。どこかで野垂れ死ぬか、つまらぬいざこざに巻き込まれて命を落とすか、それを恐れながら毎日を過ごすのだ。

 

 一方ある程度長く渡世人をやっていると、街道の顔役・貸元などと関係ができてしまう。足を洗ってどこかに落ち着いても、過去のいきさつが追いかけて来て安住させてくれない。顔役のネットワークはこの時代でも結構迅速な情報伝達をする。また落ち着いた先の住民も、元渡世人には辛く当たる。さらに、足を洗って食える商売が見つからないことが多い。商売の芸があれば、とっくにそれで生計を立てているはずだからだ。

 

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 表題作では足を洗う渡世人を更生させる元顔役のところに、言伝を伝えにいった紋次郎が逗留してしまって野良仕事までする。しかしそこにはやはり血の雨が降り、紋次郎に優しくしてくれた元顔役たちが惨殺される。復讐を誓った紋次郎は、相手10人の顔と名前をしかと覚え、確実に全員を抹殺することを考える。

 

 この時紋次郎が抜く長脇差は、とうていやくざの持てるものではなく、名工が打ち上げた名刀(志津三郎兼光)。これも道連れになった武士が主君の銘刀を研ぎに出すために持っていて、戦いの中で死んだ武士から手に入れたものだ。紋次郎自身の脇差が折れてしまったから、これで闘わざるを得なかったわけ。上記10人のやくざは、不幸なことにその餌食になってしまう。

 

 本書にはこれらのように「剣」にまつわるエピソードが目立つ。水戸藩の武士で23歳で鏡新明智流免許皆伝になったが、その後渡世人に身を落とした稲妻の音右衛門との一騎打ちシーンもある。やくざ剣法など通用せず、紋次郎は死を覚悟するのだが・・・。

 

 5つのエピソード、いずれも珠玉の中編時代劇。作者の筆はこのころピークをつけたのかもしれません。次の短編集が楽しみです。