新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

カーが好きだった江戸川乱歩

 本書は創元社が独自に編集したジョン・ディクスン・カー(別名カーター・ディクスン)の最後の短編集。長編はいくつか紹介しているが、作者は多くの短編や脚本も遺した。本書には、ラジオドラマ脚本2本、シャーロック・ホームズのパロディを含む4編の短編、ミステリー作家としての矜持を記したエッセイ2編が収められ、詳細な作品リストとカーの大ファンだった江戸川乱歩の有名な「カー問答」が収められている。

 

 長編だけでも80編(多くが邦訳された)ある作者だが、没後40年以上が経ち絶版となった作品が多い。僕も10歳代のころに読んだ多くの作品を、今は入手できないでいる。江戸川乱歩によればその特徴は、

 

・飛び切りの不可能興味、手品興味

・極端な怪奇趣味、オカルティズム

・ユーモア(というよりはファース)

 

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 にある。ヴァン・ダインやクィーンが不可能犯罪を扱いながらも、リアルな手法で書いているところ、カーは絵空事の世界のように物語を展開する。短編ばかりだが全くリアリティのない世界にいたG・K・チェスタトンを思わせると乱歩は言う。ただチェスタトンは読者に対しては全くフェアではなかったが、ヴァン・ダインやクィーンのような手掛かりを読者にちゃんと与える「フェア・プレイ」を心がけている点はカーは立派だとある。

 

 乱歩は探偵小説の三要素として、出発点の不可思議性・中段のサスペンス・結末の意外性を挙げているが、これらを全部満たしているのがカーの真骨頂と評価している。乱歩は1952年までにカー(ディクスン名義含む)の長編を30作ばかり読んでいて、それらを4ランクに分類している。Aクラスとして挙げられたのが、

 

・帽子収集狂事件

・プレーグコートの殺人

・皇帝の嗅ぎ煙草入れ

・死者を起こす

・ユダの窓

・赤後家の殺人

 

 「密室講義」で有名な「三つの棺」や最大長編「アラビアンアイトの殺人」はBランクだった。乱歩はレギュラー探偵にも触れていて、初期の頃のフランス人アンリ・バンコランには高い評価を与えていない。大兵肥満のフェル博士(カー名義)とヘンリー卿(ディクスン名義)の2人には大きな相違点はなく、同一人物にしても良かったとも言っている。

 

 ここに挙げられた作品の半分くらいは、もう手に入りません。精々古書店巡りしていますけれどね。

シャム猫<ココ>のデビュー作

 1966年、本書によって「シャム猫ココシリーズ」が始まる。作者のリリアン・J・ブラウンは、デトロイトの新聞社に30年務めた記者。マンションの10階から飼い猫が突き落されて殺されたのをきっかけに、EQMMで作家デビューを果たす。本格的な長編第一作として執筆したのが本書。作者のネコ好きは相当なもので、ついに探偵役をネコが務める物語を編み出してしまった。

 

 地方都市(デトロイトかな?)の新聞社<フラックス>に就職を求めてきたのは、かつてヴェトナム従軍記者として鳴らし「新聞社連盟優秀賞」を獲ったこともあるベテラン記者クィララン。安ホテル暮らしで食い詰めていたようだ。運よく採用されたのだが、仕事は全く知見のない美術特集部門。最初の仕事は、若き天才画家ハラペイのインタビューだった。

 

 実は<フラックス>お抱えの美術評論家マウントクレメンズ三世は、辛口を通り越して凶悪な批評文を書く。ハラペイとの仲は最悪で、他の記者はインタビューもしたがらない。新顔のクィラランは業界の人々に紹介されるが、すぐに嫉妬・中傷・欲望が渦巻く沼のような世界だと気づく。

 

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 気難しいことで知られるマウントクレメンズに、なぜかクィラランは気に入られ、彼の豪勢な邸宅の1室を安く貸してもらえることになる。しかし時々旅をする家主は、クィラランを体のいい留守番役にしようとしたようだ。留守中の主な仕事はシャム猫<ココ>の世話。高級テンダーロイン肉を調理したものや特殊なパイばかり食べる気難しい猫なのだが、クィラランにはなついてくる。

 

 そんな中、マウントクレメンズが唯一褒めるギャラリーの経営者が刺殺されるという事件が起きる。そのギャラリーには高名な作家の絵の半分が残されていて、もう半分を手に入れ修復したら途方もない値が付くと思われた。行きがかり上、探偵役を務めることになったクィラランだが、鋭敏で予知能力もある<ココ>に手がかりを教えてもらうことで真相に迫る。<ココ>は文字を読むことすらでき、鳴き声や動作でクィラランを導くのだ。

 

 ややもすると荒唐無稽(SFとは言えないが)な物語になりそうな展開だが、そこは軽い社会派ミステリーに仕上がっている。作者が長年籍を置いた新聞社の内実(記者の生態)がヴィヴィッドだ。ハヤカワミステリが多数出しているこのシリーズ、これからも探してみることにします。

「タックスヘイブン」の仕組み

 2016年4月、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が、パナマにある法律事務所<モサック・フォンセカ>から流出した1千万件を超えるデータを公表した。いわゆる「パナマ文書」である。この法律事務所は違法・合法すれすれの租税回避措置などを扱っていた、世界第四位の事業体。文書には多くの国の元首・元元首らが、いかに不正蓄財をしていたかの証拠が詰まっていた。

 

 アルゼンチン大統領・サウジアラビア国王ウクライナ大統領らと並んで、プーチン大統領に近い人物・習大人の義兄・キャメロン英首相の父親などの名があった。政治家だけでなく、サッカーのメッシ選手や俳優のジャッキー・チェンの名前も報道されている。租税の(著しく)安い地域で、租税回避をしたり蓄財、マネーロンダリング等が行われていることは常識だったが、それがリアルデータで証明されたことに世界は衝撃を受けた。

 

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 本書は「パナマ文書」公表の翌月、緊急出版されたもの。著者の渡邉哲也氏は経済ジャーナリスト、「ヤバイ中国」などの著書がある。本書の後段は、世界の趨勢として租税回避をできにくくする、非合法組織の資金源を断つ、日本としては暴力団を締め上げる機会とするなどの「これから起きること」の予測が多い。

 

 また英中の蜜月関係を取り上げ、香港のHSBCが起点になって両国の関係に影が生じるなどと訴えている。これらの「予測」はあまり当たっているとは思えないが、前段の租税回避措置のやり方については勉強させられる。例えば英領バージン諸島は、租税回避のための特殊な法人を作り、運用しやすい環境にある。

 

法定通貨はドル

・会社設立には政府の認可は必要ない

・会社設立のためには取締役1人がいればいい

・取締役は法人でもいい

・現地には代理人だけいればいい

 

 だから専門業者(上記の法律時事務所等)を使えば、設立には24時間で十分。年間の運用コストは10万円程度だという。

 

 こんな地域は世界にいくらでもあり、今を時めくファイザー社もかつて米国(税率40%MAX)から、買収したアイルランド(税率12.5%)企業の拠点に本社を移している。EU内でアイルランドルクセンブルグが企業に人気なのは、そういう理由。GAFAなどがそれを見逃すはずもない。

 

 裏経済学のことを教えてくれる入門書のような本でした。といって、僕個人には縁のない世界ですがね。

国境をまたがる「重婚罪」

 本書は、ご存じE・S・ガードナーのペリー・メイスンものの1冊。解説には、1940年代の代表作だとある(1949年発表)。このシリーズは1933年の「ビロードの爪」に始まり、作者の死後の1976年まで合計82作品が出版され、その多くが邦訳されている。

 

 ある夜、秘書のデラを先に帰し「残業」していたメイスンは、オフィスの外の非常階段に隠れるようにしている若い娘を見つける。彼女の手にリボルバーのようなものを見た彼は、娘を取り押さえるが拳銃は発見できなかった。詰問するメイスンに娘は、1フロア上の<ガーヴィン鉱物資源調査開発会社>の社員だという。

 

 結局彼女には逃げられてしまったのだが、翌朝はその会社の実質的なオーナーであるガーヴィンが訪ねてくる。彼は妻ロレインと結婚したばかりだが、先妻エセルとの関係で揉めているという。ガーヴィンはエセルと別居し、メキシコに渡ってそこの裁判所で離婚を獲得、やはりメキシコでロレインと結婚していた。しかしエセルは離婚を認めないので、メイスンに調停して欲しいという。

 

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 珍しく民事の依頼を受けたメイスンは、ポール・ドレイク探偵事務所に連絡しエセルのいどころを調べさせる。ポールには昨夜の娘の正体も探らせている。エセルの住居はすぐわかりメイスンは訪ねていくのだが、エセルは強硬。説得にもディールにも応じず、重婚罪で告発するという。本気だと思ったメイスンは、ガーヴィン夫妻を連れてサンディエゴからメキシコに渡る。

 

 米国では重婚なのだが、メキシコでは離婚が認められているので重婚罪は成立しない。ところがその夜、ポールの部下が目を離したすきにエセルが行方をくらまし、翌朝射殺体で見つかった。どうも、非常階段の娘が持っていた拳銃で殺されたらしい。やがて捜査の手はガーヴィンに伸び、カリフォルニア警察の奸計にかかった彼は米国国境で逮捕されてしまう。メキシコに彼を匿っているうちに、真犯人を見つけようとしたメイスンの思惑は外れ、準備不足のまま弁護の法廷に立つことになる。

 

 最近デジタル関係の法規に「域外適用:自国の中にサーバーや事業者がいなくても取り締まれること」が増えていますが、当時はまだそんなものはありません。国境ってある意味便利なモノですね。本件、解説にある通りメイスンものの中でも傑作の部に入ると思います。依頼人の嘘で窮地に立ったメイスン一家が、鮮やかな逆転劇を見せてくれます。

プロットそのものがトリック

 本書は、多作家西村京太郎の1971年の作品。まだレギュラー探偵十津川警部らが登場する以前の作品だが、このころの著作には力作が目立つ。本書はある意味、パズラーの極限を目指したもので、プロットそのものがトリックのようなミステリーだ。「プロトリック」と言うべき作品は、例えば女王クリスティの「アクロイド殺害事件」や「そして誰もいなくなった」があるが、本書は「そして誰も・・・」に挑戦するような作品でもある。

 

 冒頭「ノックスの十戒」にある、双生児の入れ替わりへの留意事項を護るとして「本書は一卵性双生児の入れ替わりを使っている」と宣言してある。しかし、これも二重のトリックの入り口だった。

 

 まず25歳の小柴兄弟が世間に復讐するとして、2人のどちらが犯行を行ったかが分からない連続強盗を始める。指紋は残さないが顔をさらしての犯行なので、容疑者はすぐ絞られた。しかし兄弟のどちらが犯人かの決め手がなく、捜査陣は逮捕に踏み切れない。監視・尾行をするしかないのだが、兄弟の奸計にはまって捜査陣は翻弄される。

 

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 一方、年末年始を東北の山荘で過ごしませんかという案内が、若い東京の男女に届く。ふもとの町まで雪上車で2時間かかるという山荘だが、往復の切符が同封され、宿泊料・飲食代の無料だという。集まってきたのは、

 

・サラリーマンの矢部と森口

・森口の婚約者でOLの京子

トルコ嬢の亜矢子

・タクシー運転手の田島

・犯罪学専攻の学生五十嵐

 

 ホテルのオーナー早川を含めた7人が山荘で過ごすことになったのだが、到着早々矢部が自室で首つり死体となる。町の警察へ連絡しようとしたが、電話は不通、雪上車も壊されてしまった。山荘に閉じ込められた6人に、連続殺人鬼の魔手が迫る。この2つの事件が、全体の2/3を過ぎたあたりで急に結びつく。そこからは犯人の仕掛けたトリックの罠を、捜査陣が苦しみながら乗り越えていく話になる。

 

 実に手の込んだパズラーなのだが、解説はその点を評価せず、終盤謎解きの課程で社会課題(都会の無関心・タクシーの乗車拒否など)を取り上げた作者の「温かい目」を挙げている。どうも僕の読み方とは違う解説者のようだ。

 

 確かに乱歩賞作品「天使の傷痕」で薬害問題を取り上げる作者だが、まだこのころはミステリーのいろいろなパターンを試していた。本書はパズラーとして、第一級の作品だと思いますよ。