新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ペダンティックな探偵

 S.S.ヴァン・ダインは、生涯に12作しか書かなかった。その名前も、本名ではない。美術評論家であった、ウィラード・H・ライトは、病気療養中膨大な量のミステリーを読み、こんなものなら書けるかもしれないと思ったという。硬い専門書を何冊も出版している彼は、世俗的なものとされるミステリーを書くにあたって、ペンネームを必要とした。
 
 文豪と呼ばれる人たちが、余技としてミステリーを書くことに違和感のないイギリスに比べると、アメリカにはそのような寛容性は無かったというのが彼の見解である。確かに、イギリスの有名作家は生涯に少しのミステリーを発表することがある。イーデン・フィルポッツやA.A.ミルン、サマセット・モームなどが書いたものは、ミステリーとして高く評価されている。

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 ヴァン・ダインが創造した探偵が、ファイロ・ヴァンス。北欧系の貴公子で、伯母の遺産があって生業ごとをする必要がない。執事にかしづかれて、日々を怠惰に暮らす30歳代半ばの独身貴族である。取柄は明晰な頭脳(探偵なんだから当たり前)と、芸術への深い造詣。スポーツも万能で、競馬などの知識も深い。「平民並みに早起きすると疲れる」などと平気でのたまう。
 
 そんな彼が、友人の地方検事の依頼で事件に挑むことになった。真面目な警察官や、不幸な一家に対してペダンティックなセリフをまき散らしながら、自分勝手な捜査をする。天才物理学者湯川学と並んで、ミステリー史に輝く「鼻持ちならない」探偵だろう。
 
 ヴァン・ダインは「ひとりの作家に、6を超えるミステリーのネタがあるとは思わない」と言っていたが、結局はその倍、1ダースのファイロ・ヴァンスものを書いた。題名にも凝っていて(ひとつの例外をのぞき)"The xxxxxx Murder Case"として、xxxxxx の部分は6文字に合わせていた。題名にこだわる「稚気」は、彼に影響をうけたという、エラリー・クイーンの初期の国名シリーズ(国名+Mystery)にもうかがえる。
 
 自らが言っていたとおり、6作までは評判が良かったが後半の6作の評価は落ちる。お書きにならなかったほうが良かったと後世の人は言うかもしれないが、目の前のドル箱を貪欲な出版社が見逃すはずはない。処女作 "The Benson Murder Case" だけで、彼の本名での著作すべてをはるかに上回る売り上げを記録し、2作目はその倍、3作目はさらに倍を売ったのだから。
 
 その3作目が "The Greene Mureder Case" 。探偵役の好き嫌いはさておき、妖館でおきる連続殺人事件、複雑な人間関係、充実した犯罪ライブラリ、密かに書庫などをうろつく人影・・・と舞台設定は12作中一番だと思う。途中、97の事実を並べたところがある。延々読んできてここまでの集大成がここにあるわけで、純粋パズル小説とすればこの部分だけ読めばそこまでは読む必要がない。(嘘です。全部読んでください)
 
 そこで98番目の事実が加わり、問題編が終了する。エラリー・クイーンの「読者への挑戦」に似た趣向だ。あとは、一気に大団円へとなだれていく。1930年前後、クロフツ、クリスティが円熟期を迎え、カーが加わり、クイーン、ヴァン・ダイン本格ミステリーが最盛期を迎えた頃の作品である。