新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

トム・クランシーの真価

 トム・クランシーはデビュー作「レッドオクトーバーを追え」で北大西洋での潜水艦戦を描いて衝撃的な登場をした。ソ連の最新鋭戦略原潜が西側への亡命を図って行方をくらまし、ソ連海空軍がこれを必死に追うというストーリーだった。膨大な軍事知識がちりばめられていたが、実際のところ砲火が交えられた部分は少ない。戦闘以前の、欺瞞や謀略がその中心である。

 
 テクノスリラーとしての評価は大変高かったのだが、本当の戦争ヲタクたちにはフラストレーションのたまる展開で終わっていた。それを払拭したのが第二作「レッドストーム・ライジング」である。
 
 空戦、潜水艦戦はもちろん、空母戦闘群・空挺部隊・機甲部隊から果ては軍事衛星やこれを撃破する特殊戦闘機と核戦力以外の全てが登場する。これでヲタクたちは拍手喝采となったのだが、さて第三作はどうなるのだろうとも思ったはずだ。実質的に第三次世界大戦を書いてしまったわけだから、残るは全面核戦争から人類滅亡くらいしか考えられない。

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 トム・クランシーと共著者であるゲーマー、ラリー・ボンドは第三作をどうするか、激論を交わしたのかもしれない。その結果が本書「愛国者のゲーム」である。ラリー・ボンドは、多少局地戦的になっても朝鮮半島なり、中東領域なりアフリカのある領域なりで徹底的な戦闘を描こうとしたのではないだろうか。戦略・作戦・戦術の全てを、より詳細に書き込むことができるだろう。
 
 それに対してトム・クランシーは、より切迫したサスペンスを書きたかったのだろうと思う。SFになってしまうかもしれない戦争ヲタク好きの世界よりは地に足の着いた物語にしようとしたのではないか。
 
 結果として、クランシーはボンドとたもとを分かったのだと思う。本書は第一作で主人公の一人であったジャック・ライアン一家を中心に据え、ホームドラマの要素も入れながら、テロの脅威を訴えている。
 
 銃器や近接戦闘に関する知識は相当なものだが、戦争テクノロジーの発露というほどではない。書評はクランシーは人間も書けることを示したとか、あえてハイテク兵器を登場させなかったと言っているが、それは間違っている。ボンドと共著する体制を維持できなかったゆえの、結果でしかないように思う。
 
  テーマはテロだが、面白いのは電気技術者のテロリストがウェスチングハウスの機器を見せて「俺はアメリカ15州を同時に停電させることもできる」と言うシーン。当時サイバーテロは無かったのだが、重要インフラ特に電力インフラへの攻撃を予感させるエピソードである。
 
 900ページ近い本書の中で、最後の100ページの迫力は相応にある。英国の皇太子(チャールズか?)夫妻をからめたクライマックスは面白い。第三作でトム・クランシーがゲーマーである共著者と別れて、彼本来の真価を発揮したのが本書だと思います。