新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

第六天魔王の秘密

 加藤廣という歴史作家は、中小企業金融公庫山一證券を経てビジネスコンサルタントをしていたのだが、2005年75歳の時に「信長の棺」でデビューしている。信長公記の作者太田牛一を主人公に、本能寺の変の真相に迫った出色の歴史ミステリーである。

 
 「信長の棺」は構想15年、明智光秀羽柴秀吉徳川家康などおなじみの顔ぶれはもちろん、信長の異母弟である僧侶や近衛卿といったマニアックな登場人物もいて分厚い物語を展開してゆく。これに続く「秀吉の枷」「明智左馬助の恋」の3連作、その構想力や膨大な歴史資料を読み込んだ知識にはうならされた。
 
 もともと、織田信長の一生には謎が多い。尾張半国(丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡)を平定するのに10年かかったのは当然として、今川義元桶狭間で打ち取るや急速に勢力を伸ばして天下取りに近づいた。弱将に見られがちな今川義元だが、武田信玄北条氏康と並び極めて有力な戦国大名だった。動員兵力は2万を下らず、信長の3,000(これも精一杯だった)など、相手にならないはずだった。

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 本能寺の変にも、おかしなことは多々ある。浅井長政の裏切りで窮地に立った時も真っ先に逃げ難を逃れたように、極めて用心深い武将である。ほんのわずかの手勢だけで無防備な本能寺に泊まるなど、不用心はなはだしい。長子信忠と二条城に居れば、明智勢が迫ってもしばらく持ちこたえられたかもしれない。
 
 一方、羽柴秀吉についても謎が多い。特に出生については、よくわかっていない。この3連作では、秀吉は「山の民」の出身だとしている。イメージしたのは、石垣の穴太積みで有名な近江の穴太衆だろう。城づくりや城攻め、野戦築城などに異才を示す工兵技術集団である。確かに墨俣の砦づくりで台頭し大阪城のような大建築に至るまで秀吉の功績は、合戦よりも築城等(エンジニアリング)が大きいように見える。
 
 3連作とそこから派生するいくつかの作品で、数々の謎に「加藤流の解決」が与えられる。本能寺の変明智光秀を謀反に踏み切らせたもの、信長が本能寺を宿舎に選んだわけ、秀吉が死に臨んで信長の夢にうなされたわけ、秀頼が秀吉に似ないで大柄の美男・偉丈夫になったわけ・・・等々。
 
 「信長の棺」は映像化もされているから、御覧になった方も多いだろう。しかし、この3連作の面白さはやはり原本で味わっていただきたい。