新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

一人称ミステリー

 ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドなどのハードボイルド小説は、「私」の視点で書かれた一人称ミステリーだった。この手法は主人公の考えや人柄を表すのに向いているものの、私の視野以外のことがらを書くことができないので制約も大きい。

 
 本格ミステリーは天才的な探偵役を登場させて彼もしくは彼女が主人公なのだが、探偵役が一人称で登場すると読者と探偵役(作者)の知恵比べを仕掛けるのが難しくなってしまう。そこでよく用いられるのが「ワトソン役」の起用である。コナン・ドイルシャーロック・ホームズものには、冒険譚の記録者としてワトソン博士が一人称で登場する。

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 読者はワトソン博士の視点で見たものを追体験するのだが、主役のホームズは知りえた事実を全部ワトソン博士に教えるわけではないので、謎は維持できるわけだ。本書は金田一耕助ものだが、一人称ミステリーである。横溝正史は、僕の知る限り金田一もので同じ手法をとったことはない。
 
 岡山と鳥取の県境に近い山村が舞台で、ここには戦国時代の落ち武者を村人がだまし討ちにしたことから祟られるようになったという伝説がある。大正時代にも村の名士が発狂して村人32人を惨殺するという事件があった。これは、岡山県津山の30人殺しという史実をベースにしているのだろう。その名士の息子であるが子供の頃に村を離れていた寺田辰也という人物が、本書の一人称の語り部である。
 
 辰也青年は名士の家を継ぐために村に呼び戻されるが、村に着く前から奇妙な事件が次々に起きて多くの人が命を落とす。そこから、落ち武者の祟りやを背景にした怪奇物語が展開する。村中の地下をカバーする鍾乳洞があって、そこに怪しげな影が出入りする。このあたり、ディクスン・カーをしのぐ怪奇サスペンスである。
 
 最後に金田一探偵と官憲が事件の犯人をつきとめ辰也青年を救うのだが、本書は横溝正史が怪奇ものと本格ミステリーを融合させようとして一人称形式を選んだのだろうと思う。普通に金田一探偵が登場する三人称形式では、ここまでのサスペンスは描き切れなかっただろう。金田一もののなかでの異色の名作ですね。