新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

教育崩壊、1982

 以前、美緒&壮シリーズや、「177文字の殺人」を紹介した、ミステリー作家の深谷忠記が最初に書いた長編ミステリーが本書である。1982年に江戸川乱歩賞の最終選考に残った作品で、作者はその後1985年の1万分の1ミリの殺人(別題:殺人ウィルスを追え)でサントリーミステリー大賞の佳作を得て、本格的に作家活動に入っている。

 
 作者は1943年生まれなので、本書を書いたのは40歳に近いころである。「1万分の1ミリの殺人」(後に改題して再版されるので、間違って重ね買いしてしまいそうだ)で化学の知識を十分に披露しているが、東大の理学部卒の学歴を持っている。本書は作者が大学卒業後に起きた、東大紛争やオイルショックによる就職難、教育ママの登場、学習塾の隆盛、過当な受験戦争などを、作者なりに捉えて世に問うた、社会派ミステリーである。
 
 ドイツの「笛吹き男伝説」をモチーフにして本書を書くために、作者は原書を含む関連文献を丁寧に読み込んだものと思われる。ミステリーで、巻末に参考文献が載っているものはそう多くない。物語は公立中学でのいじめが原因で、一人の少年が投身自殺をするところから始まる。少年の両親は離婚していて、貧しい家庭であることもいじめの原因のひとつらしい。

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 普通の自殺で処理され、学校の管理責任もいじめた側の罪も問えないまま本件は決着したように見えた。しかし、残された母親に届けられた封書は、「笛吹き男」が次の事件を予告するものだった。少年の中学とその関係者の家庭から、列車への投身自殺した母親、海水浴中の行方不明になった生徒、大量の血を残して交通事故現場から消えた生徒など不可解な事件が続発する。そのいずれにも「笛吹き男」と名乗る者から、連続殺人すら疑わせる怪文書が届くのである。
 
 荒れる公立中学の生徒たちのいじめ・薬物・不純異性交遊、東大紛争で心に傷を負って学習塾を始めたモーレツ先生、博士号をとっても就職がなく塾でアルバイトをする青年、勉強嫌いの子供をなんとかしようと家庭教師を探す母親、家庭を顧みず中東の国での仕事に打ち込むビジネスマン、事なかれ主義の校長の家庭にも不倫の影がある。ついに「地の底から」との予告に従うように、中学生たちは鍾乳洞に遠足に行き、そこで最後の事件が起きるのだが・・・。
 
 作者の想いが詰まった、立派な社会派ミステリーである。特に教育界に投げかけた問題意識は現代にも通じる切実かつ有意義なものと思う。高度成長を支えるためのワーカホリックエリート、それにもなれなかったオーバードクター、そんな大学に入るために血道を上げる生徒や両親、受験のための詰め込み教育しかできない学校、その間に咲いた徒花である学習塾、自らを見失って非行やいじめに走る生徒たち等々。ミステリーとしてはそれほど意外な仕掛けはないのですが、社会課題を正面から見据えた力作でした。