作者の陳舜臣は、僕にとっては中国史の大家。「小説十八史記」や「秘本三国志」から、「中国五千年」「中国の歴史」「耶律楚材」などたくさん読ませてもらった。1924年神戸市生まれの中国人だが、日中両国の文化を十二分に理解した人で、両国関係が微妙な昨今、本当は必要とされている人だと思っても仕方ないことだ。
ミステリー作家としては、1962年「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞。本書はそれに続く第二作で、同じく神戸の中華料理店主陶展文が探偵役を務める。作者の分身ともいえる陶大人は、50歳代。拳法の達人だが、これでバッタバッタと悪人を倒すわけではない。拳法はもっぱら心身を鍛えるためのもので、事件への関わり方も安楽椅子探偵的なところがある。
香港で日系企業に勤めている若い中国人の娘が神戸港から入国するシーンから、この物語が始まる。その日系商社神戸支店の青年が出迎えるのだが、彼は以前香港支店で彼女の上司だったことがある。娘が1カ月の休暇を取って日本に来たのは、数年前にアメリカで行方不明になった兄が、日本にいるかもしれないと思ったから。事情を聴いた青年は、陶大人の料理店の離れに彼女を滞在させてくれるよう手配した。
娘の兄林東策は、将来を嘱望される数学者だったが、ビジネスの道にはいるといって大学を辞め、アメリカでの最後の消息は「日本に行きたい」と言っていたということだけ。雲をつかむような話だが、陶大人は入国管理局などに問い合わせて林東策の足取りを追おうとする。それが成果を上げないうちに、神戸のホテルで王同平という在日中国人が殺され、そこから逃亡した中国人の名前が林東策だとわかる。
警察の捜査で、王同平も林東策も小さな会社を持っていて、大手商社の輸出入の手続きを一部代行する「トンネル会社」を運営していたことがわかってくる。当時の日米中の貿易については知識がないのだが、買収やキックバック等のヤバイ仕事を代行していたようだ。このあたりさすがは「華僑」の血筋だと思う。
陶大人は警察や新聞記者からの情報で「林は犯人ではない」と言うのだが、完全に解決できるまでその理由は言わない。人間が入れ替わるトリックのほか、時刻表を使ったアリバイ崩しまで出てきてミステリーとしての完成度は高い。ただ陶大人が包丁をふるったり、料理の下ごしらえをするシーンは全くありません。今度は陶大人の料理編が読みたい・・・というのは贅沢でしょうか?