米国の本格ミステリーの時代は、本書(1926年発表)から始まったと僕は思う。英国ではクロフツ、クリスティがデビューしていたが、それほど大きなインパクトを読者に与えていたわけではない。それがS・S・ヴァン・ダインという作家の登場によって、黄金期が始まったのだ。
作者の本名はW・H・ライト、高名な美術評論家で文章も巧み、専門家の間では高く評価される書を多く著わした人だ。しかし神経症を病み長い療養を余儀なくされた。快方に向かう過程でミステリーを読むようになり、大きな欠陥のある作品が版を重ねていることを知って自らミステリーを書くことを決断する。
創造した探偵役は、30歳代半ばの独身貴族ファイロ・ヴァンス。伯母の遺産によって働くことは必要なく、怠惰だがスポーツ好きな人生を送っている男だ。彼は人間の行為に潜む心理に興味を持っていて、友人の地方検事マーカムに「重大事件が起きたら口をはさませてくれ」と依頼していた。
ウォール街で評判の良くない株式仲買人ベンスンが、自宅で射殺体となって見つかった。マーカムはこの事件に、ヴァンスを連れて行くことにした。ベンスンは食事から帰り、部屋着に着替えかつらも義歯もとった姿で死んでいた。凶器は.45口径の拳銃、犯人は座っていた被害者の正面に立ち、1発で頭部を撃ちぬいていた。
容疑者として被害者と当夜食事をした若い歌手、その恋人の陸軍大尉、被害者ともめていたという友人などが浮かんでくるが、マーカム検事と市警のヒース部長刑事が「これは!」と思う容疑者を、ヴァンスは全て否定してのける。いわく「心理的にあり得ない」。
ヴァンスは英国好きのインテリで多方面の教養も高いことから、言葉にはラテン語、フランス語、ドイツ語などが混じる。ペダンティックな発言も多く、一般人へのガイドのため脚注は1章に半ページくらいついてきて閉口させられることもある。しかし簡単だが印象的な図面や、何章かに一度鋭い推理を魅せるヴァンスの活躍につられて、どんどん読み進んでしまう。
最初に読んだ高校生の時、ヴァン・ダイン作品としては大半を読んだ後で買ったのですごく大事に、一晩に1章づつ、それも前日に読んだ章から読み始めるくらいにして読んだ。だからなのか、50年近くたっているのに覚えている部分が多かったです。あと数冊ヴァン・ダイン作品が残っています。今度も大事に読みますよ。