新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

高度の水平飛行に入った女王

 1920年に「スタイルズ荘の怪事件」でデビューしたアガサ・クリスティ20年代は「明るいスパイもの」に欲があって本格ミステリーにいまいち身が入らない面もあった。しかし最初の夫と離婚し考古学者マックス・マーロワンと再婚してからは、私生活も安定し作風も落ち着いてきた。本書の発表は1933年、翌年には名作、「オリエント急行殺人事件」が出るなど、クリスティの長い黄金期が始まろうとしていた。本書の解説には「ミステリー作家は初期に名作が集まり」、本書もその一つだと言っているがこれには違和感がある。

 
 S・S・ヴァン・ダインがその典型で、自ら「6作以上のアイデアが一人の作家にあるとは思わない」と言っていたが、確かに全12作中の前半に名作が集まっている。ただヴァン・ダインは最初から完成された作家であり、クリスティのように初期のスパイもの指向の迷いの時期などはない。つまりクリスティは、「アクロイド殺害事件」など驚きの作品は出したものの、1930年以前は未完成の作家だったと言っていい。

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 さて本書だが、50歳ほどの男爵エッジウェア卿の2人目の妻ジェーンは有名な女優。夫は邪悪だと妻は思い夫は妻の不貞を憎んでいて、二人は別居している。あけすけな性格のジェーンは、「タクシーで乗りつけて夫を殺す」と公言している。ポアロはジェーンから「離婚を承諾しない夫を説得してくれ」と依頼される。ポアロがエッジウェア卿を訪ねると「離婚は承知している。6ヵ月前に手紙でそう伝えた」との返事。しかしジェーンはそんな手紙は知らないという。
 
 そんな中、ジェーンと思しき女が卿を訪ねてきてその後に卿の刺殺死体が発見される。しかしジェーンには、複数の知人と夕食を共にしていたというアリバイがあった。ポワロは、以前見た新進女優カルロッタの真に迫ったジェーンの物まね芸を思い出す。ところがポアロがカルロッタを訪ねると、彼女も不審死していた。
 
 わたしことワトソン役のヘイスティングズ大尉は、本件をポアロの失敗譚だという。確かにポアロの捜査は、五里霧中でもがくジャップ警部を凌駕してはいるものの、犯人に一歩づつ先を越される。これを失敗と見るか、ポアロだから一歩遅れででもついていけたのだ(それほどの難事件だ)と見るかは読者次第である。
 
 1920年代の迷走期を終わり、クリスティは「高度の水平飛行」に入ります。年代順に読んでいるのですが、まだ一杯買ってありますから楽しみです。