新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

九二式重機と歩いた山野

 本書は中国戦線からビルマ(今のミャンマー)に転戦、終戦まで戦い抜いた石井兵長(最終階級伍長)の手記である。作者は青年学校教諭職にあったところを招集されたとのことだし、中学校時代の話も出てくる。英語の読める兵士として将校に重用されてもいるところを見ると、エリートだったのだろう。それでも長い戦争のほとんどを、一兵卒として戦った。

 

 中学校時代から射撃に自信を持っていた作者は、第55師団の112連隊(香川)の一員としてビルマからインドへのルートで死闘を繰り広げた。配属は機関銃小隊で、兵器は九二式重機関銃である。名前の通り皇紀2592年(西暦1932年)制式になった、比較的新しい機関銃だ。

 

 口径は7.7mm、歩兵のライフルが6,5mm口径で軽機関銃もそうだったから、歩兵部隊としては重火器である。毎分450発の発射能力があり、有効射程は800mあった。信頼性も高かったが、その分重く全備重量は55kgにもなった。通常三脚と銃身は分解して運ぶのだが、弾薬などもあって移動には最低4人必要だった。

 

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 作者は機関銃小隊の一員として、この重い機関銃と弾薬、手榴弾などを負って砂漠や泥濘の多いビルマ戦線を転戦する。112連隊は有名なインパール作戦の支作戦としてインド・ビルマ国境に進出、英印軍と戦う。インド兵は戦意が低く、自分が自動小銃を持っていても、竹槍(石井兵長は装備軽減のためライフルの代わりにこれを使っていた)で脅されると降伏してしまう。

 

 日本軍の補給はやはり乏しく、作者たちは食料や水(特に水!)を探すのに苦労する。進撃時には英印軍が残した糧秣を得て「チャーチル給与」と喜んでもいた。しかし敵が航空支援や装甲支援を得て巻き返してくると、飲み物・食べ物はもちろん弾薬や医薬品も欠乏するようになる。

 

 分隊の守護者である機関銃部隊も、迫りくる敵とは手榴弾や銃剣で戦う激しい戦闘だ。航空支援はほとんど得られず、頼りにしたのは「十五榴」こと15センチ榴弾砲である。榴弾ながら歩兵はもちろん戦車にも効果があり、M4戦車も撃破している。

 

 作者は何度も負傷し、それ以上に黄疸・マラリアアメーバ赤痢などに悩まされる。僕には信じられないような環境を、作者はユーモアを交え、時には客観的に記している。将軍や参謀といった高官の追憶は何度か読んだのですが「一兵卒」の視点は初めて。勉強になりました。