新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

帝国陸軍の「神」

 光人社NF文庫の兵器入門シリーズ、今月は「砲兵」である。伝説のゲームデザイナーであるジェームス・ダニガンは、第二次世界大戦の記録を読み込んで、兵士の死傷者の多くは砲撃によるものだと結論付けた。よく戦争映画でライフルで敵兵を斃すシーンがあるが、ライフル弾など1万発撃ってようやく1人斃せたほどだという。

 

 だから陸戦では、砲兵は「戦場の神」と呼ばれていた。本書は帝国陸軍の「神」について、450枚もの写真・図面を掲載した砲兵全集と言ってもいい。明治政府は他の兵器同様、初期の軍の砲兵整備を輸入によって賄った。とはいえ欧米人に比べ体格が劣り、挽馬なども十分用意できない環境では、小口径の野砲・山砲を整備するのが精一杯。日清戦争はともかく、陸軍大国ロシアとの日露戦争では、砲兵の重要性、特に重砲の必要性を痛感する。

 

        f:id:nicky-akira:20210906101750j:plain

 

 有名な「旅順要塞攻略戦」、多くの血を流しても占領できなかった要塞を陥落させたのは、海軍の280mm砲(表紙の写真)を陸揚げするという策ゆえだった。そのころはまだ、純粋な国産砲は実用化されていない。大正期になって徐々に国産化をするのだが、日中戦争がはじまってからも国民党軍から鹵獲した火砲、例えばラインメタル製の37mm高射砲は優秀だとして「ラ式高射砲」として採用(!)しているくらいだ。

 

 ドイツ・フランス・イギリス製の輸入かコピーが多かった重砲、榴弾砲などと違い、独自の発展を遂げた火器もある。最小の砲兵とも言える擲弾筒だ。各国歩兵はライフルの空砲を使って手榴弾を遠くに飛ばす「ライフルグレネード」を使っていたが、弾着は安定せず効果のある兵器ではなかった。小隊・分隊規模の火力不足を埋めるため、帝国陸軍は重量2.5~5kgの携帯迫撃砲である擲弾筒を配備した。重擲弾筒は専用榴弾を800m以上遠くに撃ち込むことができ、2秒に1発の発射が可能だった。

 

 また対戦車能力の不足を補うため、成形炸薬弾を使っていたことも本書で初めて知った。例えば92式歩兵砲(口径70mm)の徹甲弾は、距離500mで25mmの装甲を打ち抜くのが精一杯だったが、成形炸薬弾(タ弾)は90mmの装甲を撃ちぬけた。前者はM-3ハーフトラック撃破が精々だが、後者ならM-4シャーマン戦車を葬れた。

 

 ただどうしても「技術の遅れ」は昭和20年時点でも目立ちますね。やはり無理な戦争だったということでしょう。