新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

三民主議を目指した政治的軍人

 先週、竹内実著「毛沢東」を紹介したが、本書はそのライバルだった国民政府総統蒋介石について、歴史探偵の一人保坂正康氏が記したもの。現在のホットスポットである、台湾海峡の緊張を産んだ人物でもある。

 

 軍事史に詳しい松村劭元陸将補によれば、蒋介石率いる国民政府軍が共産党軍を追い詰めた戦術は、対ゲリラ戦の好例とのこと。遠巻きに包囲し機動の自由を奪い、ゲリラと同規模の作戦単位を放ってこれに対抗する。包囲網を徐々に絞って、これをせん滅したわけだ。その結果共産党ゲリラ軍は敗退し「長征」という逃避行を経て勢力を10万人から1万人以下に減らすことになる。その過程で、軍人としての毛沢東が台頭したのはある種の皮肉と言えるかもしれない。

 

 このような対ゲリラ戦術を、蒋介石はどこで学んだのか?若いころに日本陸軍に士官待遇で留学していたこともあるので、その時に学んだのかもしれない。もしそうなら、日本陸軍自身が中国大陸で対ゲリラ戦を誤った理由が分からないが・・・。

 

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 留学時代含め、蒋介石はたびたび日本を訪れている。敬愛する上司である孫文と出会ったのも日本でのことだった。蒋介石孫文の「三民主議・五権憲法」思想に傾倒し、これを祖国で実現しようと、89歳で台北の地で亡くなるまで尽力した。

 

 浙江省の豊かな商家に生まれた蒋介石だが、10歳で父親を亡くし母親に育てられた。母子家庭で腐敗した権力に泣かされたようで、これが反骨の革命人となった遠因と思われる。優秀な士官候補生として日本留学もし、辛亥革命でも前線指揮を執るなど才能を見せるのだが、上官からは扱いにくい士官と思われていた。孫文直々の命令でもこれに反抗し、再三辞表を書いて故郷に帰ってしまっている。

 

 松村氏によれば「頭のいい横着者は戦時指揮官に向く」とのことで、孫文の新政権が苦闘を続ける中で頭角を現す。やがて孫文が死に、南京に国民党政府ができてTOPに上り詰めるのだが、北京中心の軍閥や後の共産党軍、さらに日本軍との戦いに明け暮れることになる。

 

 第二次世界大戦後、共産党との内戦に敗れて台湾に渡るのだが、そこで旧日本軍の将校らを招いて講義話させてもいる。日本語は通訳なしで理解できるレベルだったという。今も息子(経国・韓国)たちと共に、台北の廟に眠る偉人です。今度台北に行った時には、お参りしたいと思います。