麻雀というのは、僕にとってはゲームだった。小学生のころから牌をいじり、高学年では牌を指(僕の場合は親指)で触って何かを知る「盲牌」という芸を身に着けていた。当然打つことも出来、大人に交じってジャラジャラやっていたものである。中学・高校でも同級生集めて打っていたが、そのころは純粋にゲームで金銭を賭けることはなかった。しかし大学生ともなると、そうもいかない。ハコテン300円とか、900円といった低いレートで打つようになった。
同級生の中にはハコテン3,000円という、学生は滅多にしないレートが常習の者もいた。こうなるとゲームではない、賭博である。社会人になるとレートはそのくらいが普通になったので、僕は足を洗った。ゲームから賭博へのステップは上がれなかったというわけだ。昨年物議を醸した検察庁幹部とメディアの麻雀、多分レートはそのくらいだったと思う。ただ昔にはなかったぶっ飛びとかワレメという「腕を試すのではなく運を試す」ルールの時代だから、一晩に動くお金の量は増えていただろう。
ある日平塚のBook-offで、「麻雀放浪記全4巻」を見つけた。今まで阿佐田哲也の本は一度も読んだことがなかったのだが、なぜかフラフラと買ってしまった。本書はシリーズ最初の1冊<青春編>である。まだ20歳にもならない哲也青年が、戦後の混乱期の東京で数々の怪しげな人たちと知り合って、成長(!)する物語だ。
若いサラリーマンの月給が1,000円以下だった時代に、ハコテン400円というレートで哲也青年のギャンブル人生は始まる。もはやゲームではなく完全な賭博。まっとうな打ち手などおらず、積み込み・すり替え・ガン牌・通しなど恐ろしい技がどんどん紹介される。戦前からのベテランの「バイニン(玄人)」が、哲也に「面白うて、やがて哀しき賭博かな」と自嘲する。
まだ自嘲しているくらいならいい方で、全財産をつぎ込んでも、女房を質においても・・・とのめり込んでいくと人生ごと破綻する。中には麻薬をやっているヤツもいるし、牌を握って昇天するヤツもいる。凄まじい技も含めて、その生態がヴィヴィッドである。正直、こういう連中を相手にすることはなくて良かったと、人生を振り返ってほっとした気分です。