新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

戦争省電信室、1861-65

 本書(2006年発表)の冒頭、9・11以降のイラク・アフガン戦争を戦っている米国ブッシュ政権の支持率が低下していて、大統領は再三リンカーン大統領を引き合いに出して市民を鼓舞しているとの記事がある。本書の著者で国際報道のベテラン内田義雄氏は、米国の本質は「民主主義は怒りに燃えて戦う」ことにあるという。

 

 今の米中対立や米ソの駆け引きなどを見ていても、米国世論の底流にはそういうものを感じる。この底流が形作られたのが「南北戦争:Civil War」で、1861~65の4年間で、60万人以上の犠牲者が出た、米国最大の紛争(第二次世界大戦でも40万人ほど)である。

 

 エイブラハム・リンカーンは、その大統領在任期間中のほとんどを、この戦いに費やした。この期間、ホワイトハウスの執務室に次いで多くの時間を過ごしたのが戦争省の電信室だったと筆者は言う。その理由は、この時代郵便に頼っていた通信が「電信」という新技術で革新されたから。「トン・ツー」で知られるモールス信号と、全米に民間が張り巡らせた電信柱で、通信速度・通信量が飛躍的に増したのだ。

 

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 米国では、当時リンカーンやその周辺が送った電信の記録が公開されている。筆者はその原本にあたり、リンカーン大統領がどのように「戦争指揮」をしていたかを明らかにしている。

 

 リンカーン自身はイリノイ州の弁護士、特に軍事や政治の経験はないが、共和党が「勝てる候補」として選挙戦に送り出し勝利した。しかし就任前後に、南部11州が連邦から離脱する「分裂」に直面する。きっかけは奴隷制度廃止の憲法改正案が出ていることで、綿花の摘み取りに労働力が必須の南部州は耐えられない改正案だったことである。

 

 当初「憲法改正は棚上げしても、南部諸州をひきもどしたい」と言っていた大統領だが、戦火が広がるにつれて奴隷制度廃止を掲げて、戦争を戦うことになる。初年度のうちは前線の将軍たちに戦況を聞くのが「電信」の役割だったが、2年目以降将軍の首をすげ替えたり、現場の作戦に徐々に細かく口を挟むようになるのが、電信記録から読み取れる。

 

 本来国力では、北軍と南軍では2:1以上の開きがあった。特に海上戦力では、北軍圧勝。しかし陸上戦力、特に将校の質量では南軍に利があった。リンカーンは4年かけてその差を埋め、ついに勝利する。

 

 「怒りに燃えた民主主義と大統領」、なんとなくわかったような気もします。