新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ローヌ河口の低湿地帯

 以前、シュタイナ中佐を主人公にした「鷲は舞い降りた」「鷲は飛び立った」や、IRAの天才的テロリストショーン・ディロンものを紹介しているジャック・ヒギンズが、それらに先駆けて発表したシリーズがある。1960年代にマーティン・ファロンなどの名義で、英国情報部員ポール・シャヴァスを主人公にした6作品である。本書(1969年発表)は、シャヴァスシリーズの最後の作品。

 

 シャヴァスにはイアン・フレミングジェームス・ボンドの影がちらつく。端正な容貌で頭脳明晰、腕っ節も強いのだが、ボンドに比べると抑制的でどこかメランコリックな印象がある。そして明るく華麗な雰囲気のあるボンドものと違い、陰鬱な風景描写や舞台設定が特徴的だ。シャヴァスが霧より好きなものは雨だけという記述や、「そうでなければ血みどろの12年間を生き延びてこられない」という彼の独白にも雰囲気が表れている。

 

 舞台はコーンウォールとブリュターニュの間の英仏海峡、密輸船が横行するところで暗黒街の大物ハーヴェイ・プレストンの死体が上がった。彼はジャマイカ出身で、フランスから英国に密入国しようとして殺されたらしい。急な臨検を恐れた密輸組織が「証拠」である彼を消したのだ。

 

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 英国情報部はその密輸組織を壊滅させるべく、腕利きの情報部員シャヴァスを送り出す。英仏混血のシャヴァスは、フランスに根拠を持つ組織を突き止め、自ら追われる犯罪者として組織に「密航」を依頼する。組織の長は冷酷な英国人のロシター、ナイフを仕込んだ聖マリア像を持ち歩く危険な男だ。一緒に「密航」することになったのは、ジャマイカ人の弁護士とインド人の娘、謎の中国人などだ。単独での潜入捜査を続けるシャヴァスに、ロシターたちの疑惑が向けられ・・・。

 

 地中海からマルセイユブルターニュ半島からコーンウォールへと、物語はめまぐるしく動く。特にブルターニュ半島のローヌ河口の巨大な湿地帯でのラストの死闘が印象深い。確か有名なワイン産地が近いはずだが、そんな華やかさは全くなく暗く寒々とした沼が連続しているだけだ。

 

 最後は中国兵やアルバニア軍の魚雷艇まで出てくる大活劇、確かに面白いのですが、後年のショーン・ディロンもののような洗練されたスタイルには至っていません。アクションスパイものの、習作といったところでしょうか。