新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

大物すぎるスパイの戦果

 ウォルフガング・ロッツはユダヤ系ドイツ人。少年時代にユダヤ人の母親に連れられてパレスチナの地に渡り、ナチスの迫害を逃れるだけでなく英軍に加わって北アフリカ戦線で戦った。といってもドイツ語の話せる彼は、もっぱらロンメル軍団の捕虜尋問にあたっていたようで、その経験がのちのエジプトでのスパイ活動の役に立っている。

 

 彼の「スパイのためのハンドブック」は、まだ30歳前のころ読み感動したものである。その中にあった「スパイの適格性テスト」で僕はとても高い点数をとったのだが、もちろん誰にも言わなかった。興味を持った人物だったが、ただ大物スパイと聞いてはいただけ。どのような活躍をしたのかは知らなかったので本人の回想録である本書を読みそれを確認できた。

 

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 ロッツはドイツ貴族の末裔で富裕な馬の育種家としてカイロ入りし、ナセル政権下のエジプトの軍や警察の上層部と交友し貴重な情報をイスラエルに送り続けた。ドイツ語・ヘブライ語・英語はもとよりアラビア語まで不自由なく話せる彼の耳には、膨大な情報が入ってくる。プリンス・マルコもかくやと思われる大活躍である。

 

 偽装の方も秀逸で、大胆にも本名でドイツに戻り北アフリカロンメル軍団の将校だったという架空の経歴を身に着けてエジプトに入国している。スパイ活動中に経歴に関する疑義が出てくると、これを逆手にとって「実はユダヤ狩りのSS将校だったが隠している」というもうひとつの過去を周辺に信じさせるほどだ。

 

 彼はモサドに加わる前に2度離婚しているが、スパイ活動の初期に知り合ったドイツ人女性と恋に落ちて結婚した。驚いたのは会って間もない彼女に、モサドであることを打ち明けて求婚したこと。妻ウォルトロードは驚きながらも、正体が発覚するまで優雅に「共犯」を務めた。本書の中にある仮想パーティでの写真、クレオパトラに扮した妻が騎乗する馬の手綱を引くアントニー役のロッツの姿は、完全にエジプト上流社交界の花形だったことを表している。

 

 彼がイスラエルに送った情報は、ロッツ夫妻がスパイ容疑で逮捕され裁判で有罪となったのちの第三次中東戦争でのイスラエル軍大勝利につながる。本来絞首刑になってもいい罪だが、ナセルはドイツからの援助を期待してドイツの国籍もある夫婦を殺しはしなかった。俗に「六日間戦争」と呼ばれるこの戦いで、イスラエルはロッツ夫婦を含む10人のスパイや政治犯と交換する5,000人余の捕虜を得た。

 

 「モサドの星」と呼ばれた超大物スパイの抑え目の回想録、とても面白かった。何かの本で読んだのだが「スパイは紳士のお仕事」なのである。