新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

テロが手段から目的に替わり

 1983年発表の本書は、以前「過去からの狙撃者」などのスパイスリラーを紹介したマイケル・バー=ゾウハーのドキュメンタリー。1972年9月、ミュンペン五輪の最中に起きたパレスチナゲリラの人質事件が帯で強調されているが、実質的に20世紀のパレスチナ紛争史である。

 

 第一次世界大戦の後、オスマン帝国の崩壊からパレスチナの地を巡るユダヤ民族とアラブ民族の抗争は続いていた。英国がユダヤ民族を招き入れ、これに激怒したアラブ民族がユダヤ人を殺しまくったのだ。その時名をはせたテロリストにハサン・サラメという青年がいた。アラブ勢力はナチスと組み、ユダヤ人をパレスチナの地から追い払おうとした。ナチスが滅びてからも抗争は続いたが、1948年ハサンの戦死でアラブ同盟は瓦解する。

 

        

 

 それから20年、数次の中東戦争を経てイスラエルの存在感は増していた。これに対しアラブ側は「黒い9月」を中心に過激なテロを展開する。イスラエルに囚われている仲間の釈放を求め、航空機を乗っ取ったり爆弾を仕掛けることもした。その最大のものが、オリンピックでの人質事件。捕えられたテロリストは「首謀者はハサンだ」という。実はハサンの息子アリ・ハサン・サラメが「赤いプリンス」と呼ばれるリーダーになっていたのだ。

 

 多くのアスリートを死なせたイスラエルは、「黒い9月」のメンバーを暗殺するという手段に出た。アラブ側もモサドの構成員を暗殺する報復に出て、欧州を舞台に血の雨が降る。幼いころは温和な子供だったアリだったが、最初は手段として用いていたテロが自分の中で目的化していく。アラファトが息子のように可愛がり、再三モサドに狙われながら生き延びてきたアリも、1979年ついに爆死する。しかしその名前は三代目に受け継がれた。

 

 バー・ゾウハーは本書をラビン首相の補佐官だったアイタン・ハーバーと共著しました。イスラエル政府の内幕にも切り込んだ、実に迫力あるドキュメンタリーでしたよ。