新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

切り裂きジャック事件の新解釈

 1988年ロンドンのイーストエンドの一角で、娼婦が次々に殺される事件が発生した。顔を切り刻んだり内臓を取り出して並べたり、凄惨な連続殺人事件である。人々はこの犯人を「切り裂きジャック」と呼んで恐れた。結局3カ月足らずの間に少なくとも5名の被害者を残し、ジャックは姿を消した。事件は迷宮入りとなったのである。

 
 多くのミステリー作家がこの謎に挑んだ。巨匠エラリー・クイーンは「恐怖の研究」(1966年)で、ワトスン博士の記録を手に入れたエラリーが事件を推理する姿を描いた。同時期ロンドンで活躍したシャーロック・ホームズが、ジャックを追うという物語もいくつかある。変わったところではTVのSFドラマ「スタートレック」の一話に、不死の生命体であるジャックが22世紀になっても犯罪を繰り返し、カーク船長らと対決するという話まである。

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 さて「我が名は切り裂きジャック」というタイトルで本書を手に取ったのだが、びっくりしたのは作者がステーブン・ハンターだったこと。この作家、寡作だが印象深い作品を世に出している。だがそれは、ベトナム戦争の英雄であるボブ・ザ・ネイラーこと、海兵隊最強の狙撃手ボブ・リー・スワガーとその家族を中心にした物語だったはずだ。
 
 決して多作家ではないが、「極大射程」に始まるこれらの作品は迫力とリアリティがベストバランスしたもので、近年の作家としてはジェフリー・ディーヴァーと並んで好きなのがスティーブン・ハンターである。確かに彼の最初の作品「魔弾」は第二次大戦末期のドイツ・スイスでの、MP-44を使う暗殺者の話だった。それら初期の作品以来、久し振りのノン・スワガー・サーガだ。
 
 物語はジャックの日記と、事件を追う記者ジェブの回想録を交互に並べて犯人側と捜査側双方の視点から事件を再構成してゆく。途中でジェブを援ける音声学者デア教授があらわれ、ホームズとワトスンのような探偵コンビが出来上がる。
 
 下巻の前半にあるデア教授のプロファイリングが、なかなか面白い。デア教授は、犯人をアフガニスタンでなどで戦った特殊部隊の士官だと推定する。この時期のイギリスはアフガニスタン紛争で痛手を受けていた。そういえばワトスン博士も、アフガニスタンに軍医として従軍し負傷したという設定だった。
 
 ジェブらは容疑者を3名の退役士官まで絞り、監視を始める。そしてついに最後の一人になった容疑者と対決する。読後感としては、これはクラシックなミステリーだということ。スワガー・サーガに見られるようなリアリティある戦闘シーンはほとんど見られない。ミステリーマニアならば、結末までの流れはある程度想定できる。
 
 ハンターが狙ったのは、読者を驚かせるミステリーではなくノンフィクションに近いミステリーなのだろう。それを示すのは、下巻の巻末に添えられた膨大な(12ページもある)参考文献である。ハンターの作風が変わり始めていることを、少しの驚きをもって感じました。