新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

手法が固まりつつあったころ

 本書は、アガサ・クリスティーの長編8作目にあたる。このころまでに彼女は、ポアロという戯画化された外国人探偵、トミー&タペンスという若い冒険家夫婦、普通の官憲バトル警視らを主人公にした諸作を書いている。ほぼ1年1作のペースで発表してきた。

 
 1926年の第6作「アクロイド殺害事件」は、意外な犯人というテーマの究極に挑んだもので、その時点での評価は分かれていた。続く第7作「ビッグ4」は、失敗作と言われ、ある意味彼女はこの作品に再起をかけていたようだ。

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 私生活では、その間に最初の夫アーチボルド・クリスティとの仲が冷え込んで、一時期失踪事件まで起こしている。本書の登場人物にも、富豪の娘だが見かけだけいい夫とうまくいかず、W不倫に陥ったケタリング夫人、独身のまま33歳を迎え思わぬ遺産を得たキャロライン、20歳も若い二番目の夫と暮らすタンブリン子爵夫人など多くの「壊れかけた家庭」の人がいる。
 
 ロマノフ王朝が持っていたという運命のルビー「ハート・オブ・ファイア」を手に入れた億万長者のヴァン・オールディンは、娘のケタリング夫人にプレゼントするのだが、娘はニースへ向かう豪華列車「ブルートレイン」のコンパートメントで殺害され、ルビーも奪われてしまう。
 
 フランスの官憲は、ちょうど乗り合わせたポアロの助けも借りて、ケタリング夫人の不倫相手であるド・ラ・ロシュ伯爵を追求する。また、この列車に愛人と乗っていた夫人の夫も、カネに困っていたこともあって容疑者になる。
 
 ヴァン・オールディンはアメリカ人(多分オランダ系)で、爵位などは関係ないただの大金持ちなのだが、他のイギリスやフランスの登場人物は、伯爵・子爵・卿などの肩書を持っている。共通して言えるのは実はカネに困っていること。挙げ句、「侯爵」と称する強盗紳士まで登場し、20世紀前半の欧州の「格差社会」ぶりを見ることができる。
 
 米国ではヴァン・ダインが登場し、本格ミステリーの黄金時代が近づいていた。多くの競合相手に対し、クリスティは「意外な犯人」を追及することで優位を示そうとしたのだが、そのための手法はまだ確立していなかった。しかし本書で、「2人の共謀によるアリバイ作り」という手法が試され、後の名作群につながっていく。本作でのポアロは「世界一の探偵です」と自称するだけで決して冴えてはいないが、クリスティ自身は一歩、女王への道を歩み始めた。
 
 本書発表の後、アーチボルドとの離婚が正式に決まり、アガサは「ミステリーの黄金期」に向けた活動に専念できるようになります。そんなメルクマールとなる一冊でした。