新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

プライバシーのない村

 インターネットで情報が飛び交うようになって、個人情報の悪用のリスクが高まっている。欧州を中心にプライバシー保護強化の声はたかくなるばかりだ。ただ、インターネットはおろかコンピューターすらない時代、すでにプライバシー危機はあったようだ。

 
 本書の巻頭に、イギリスの小さな田舎町セントメアリミード村の見取り図が載っている。中央に今回の事件の舞台となる牧師館、隣がミス・マープルの家、他にも何軒かの家があり、左上にはめったに列車の来ない駅まである。本書の発表は1930年、ポアロ登場が1920年(スタイルズ荘の怪事件)、トミー&タペンスは1922年(秘密機関)に続いて、もう一人のレギュラー探偵ミス・マープルの初登場作品である。
 
 このころのアガサ・クリスティ作品の多くは、一人称で書かれている。初期のポアロにはヘイスティングス大尉というワトソン役が居て、彼の語りで物語が進んでゆく。本書も、牧師館の主レナード・クレメント牧師の語りで事件の起承転結が描かれている。

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 登場人物のほとんどはこの村の住人であり、よそ者(訪問者というべきか?)のレストレンジ夫人などは、巻頭の人物紹介で「謎の女」とされているくらいである。目立つのは、複雑な家庭事情と未婚の老嬢たちのネットワークである。退役大佐でもあるプロズロー治安判事は決して人好きのするキャラではなく、2度目の若い妻(アン)とも、先妻の子(レティス)とも関係はぎくしゃくしている。
 
 クレメント牧師自身も遅い結婚で、半分くらいの年齢の妻(グリゼルダ)と、同居する思春期の甥(デニス)との暮らしに不安がないわけではない。そこに見目好い若い画家ロレンス・レディングがやってきて、村中に不安のタネ・ゴシップのタネをまき散らしている。
 
 ゴシップは、老嬢たちのネットワークに乗ってたちまちのうちに村中の「公知」になってしまう。そのネットワークの中で「村で起きたことはなんでも知っている」と言われているのが、ミス・マープル。グリゼルダなどは、彼女に対して恐怖に近い感覚を持っている。そんな中、村中の嫌われ者だったプロズロー治安判事が牧師館で射殺され、凶器はレディングの拳銃だった。
 
 最有力の容疑者は、不倫関係にあることが露見したレディングとアンなのだが、二人とも犯行は不可能と思われる。捜査が行き詰まり、そこに村の事はなんでも知っているミス・マープルの登場となる。クリスティの得意パターンのトリックで、意外な犯人が明かされるくだりはさすがである。
 
 古き良き時代のミステリーだが、この村に住んでいればプライバシーなどあり得ないと思わせるミス・マープルの慧眼である。僕の住む小さな町にはそんな探偵がいないことを、正直祈ります。