新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ジェームス・ボンド、2011

 007ことジェームス・ボンドが誕生したのは1953年、東西冷戦の始まったころである。人気を博したシリーズであり映画も次々にヒットを飛ばしたが、作者のイアン・フレミングは1964年に急死してしまった。残されたのは長編12作と短編集2編のみ。

 
 映画界は長編小説だけでなく、短編から最後はタイトルだけは007なのだけれどフレミングが想像もしなかったような映画まで作った。ショーン・コネリー主演のころはともかく、次第に原作のシリアスな諜報員の物語から離れ、ジェームス・ボンドというスーパーマンの物語になってゆく。

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 そんな中イアン・フレミング財団は、現代のジェームス・ボンドものを有名作家に委託して書いてもらうことにしたようだ。今回白羽の矢が立ったのは「どんでん返し職人」の異名をとるジェフリー・ディーヴァー。 全身マヒの名探偵リンカーン・ライムシリーズほか、圧倒的なスピード感と鮮やかなプロットが持ち味のストーリーテラーである。
 
 非常に守備範囲の広い作家で、ロカールの定理などというものを持ち出した鑑識技術から、心理試験、サイバー空間での追跡まで、毎回違った趣向で読者を楽しませる(振り回す?)筆力がある。僕も「獣たちの庭園」という、第二次大戦末期のベルリンを舞台にしたスパイ小説を読んでいて、この手のものでも十分期待できることは分かっていた。
 
 読み終わっての印象だが、確かにスピード感やツィストの効いたプロットは期待通りである。大規模テロまで6日と推定される中、セルビア・イギリス・UAE・南アフリカとボンドが飛び回るストーリーは出色だ。しかし、何か違和感が残った。しばらく考えて、2つのポイントがあることが分かった。いずれも無理にO課00セクションのような非合法組織とその構成員(ボンド先生のこと)を登場させたことに起因したものである。
 
 まず現存するとしても決して表には出てこない組織・構成員でしかも多くの読者に既成観念ができてしまっているものを登場させたことである。ディーヴァーの筆にあまりにもリアリティがあるので、そこにギャップが生じたように思う。そしてもうひとつ、やはりジェームス・ボンドは東西冷戦時代の人物だということ。1960年当時とは比べ物にならないくらい複雑化した2011年の世界は、彼のイメージに合わなかったのではなかろうか。