新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「彗星」嘉手納を空襲せよ

 表題となっているのは、日本海軍が九九艦上爆撃機の後継機として開発した「彗星」艦爆である。九九艦爆は太平洋戦争の初期から大活躍した急降下爆撃機だが、最高速力400km/h前後と鈍足で敵戦闘機に遭えば逃げ切ることは不可能だった。頑丈ではあるが、固定脚の古式ゆかしい外観も早期の世代交代を求めていた。

 

 十三試艦上爆撃機として試作が始まり、ダイムラーベンツの液冷エンジンDB601をライセンス生産したアツタ発動機を搭載して550km/h以上の高速を実現した。この発動機は三式戦闘機「飛燕」にも搭載されている。この機体はまず二式艦上偵察機として採用され、ミッドウェー海戦でデビューを果たしたものの、複雑で繊細な発動機は生産も運用も難しかった。その結果機体の数を揃えられず、運用できるエンジニアも育たなかった。そんな難しい機体を使って「芙蓉部隊」を編成したのが、美濃部少佐である。

 

 水上機出身という異色の経歴を持つ指揮官は、大戦終盤の「一億火の玉」という特攻ブームに背を向け地道な反撃を続け、物量も技術も上回る米軍を苦しめる。「芙蓉部隊」は静岡県の藤枝で編成され、富士山のことを「芙蓉」と呼んだため名付けられた。ここに歴戦の搭乗員たちを集めて難しい機体での訓練を施し、南九州へ派遣したのだ。

 

        f:id:nicky-akira:20200415095520j:plain

 

 時は「沖縄決戦」と言われたころ、米軍は嘉手納湾に上陸しそこにあった2つの飛行場を占拠していた。これが後年の「嘉手納基地」になる。そこに米軍機が配備されて、九州はもちろん日本本土に空襲をかけてくる。これに対し軍上層部は「菊水作戦」を発動、戦艦「大和」の艦隊に特攻を命じただけでなく、練習機「白菊」での特攻要員を募る。「16隻の空母を葬るには、200機の特攻機が必要」という机上計算に拠ったもので200人の特攻兵を集めろと言われた軍官僚が奔走する。

 

 これに対し美濃部少佐は「当部隊は特攻はしない」と宣言し、少数の「彗星」による夜間空襲を嘉手納飛行場中心に繰り広げる。上空から見えない秘密基地に拠り、藤枝から機体や乗員の補充を受けながらも運用機数は50機を越えなかった。しかし大戦末期としては異例の戦果を挙げ、当時の宇垣長官もその活躍を記録にとどめている。

 

 窮地にあってもすべきことを着実にした指揮官・部隊の実話でした。「コロナ禍」で、机上計算による実行不可能な数値目標が飛び交う傾向もあります。いい勉強になりました。