新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ヴュルテンベルク王国の少尉候補生

 1944年の今日は、「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ陸軍のロンメル元帥が亡くなった日。先日見た映画「砂漠の鬼将軍」のラストのように、ヒトラー暗殺に関与したとして自殺を強いられた日である。2019年発表の本書は、非常に珍しい日本人の手になる欧州軍事史である。決して通俗的なものではなく、歴史学的な論考に分析、豊富な参考資料に裏打ちされたものだ。著者自身があとがきで述べているように、戦後の日本ではこのような学術的論考はほとんど成されていない。

 

 ロンメル将軍については第二次世界大戦中から、少ない戦力で相手を翻弄しフェアプレイに徹した英雄との評判が高かった。英国首相チャーチルでさえその功績をたたえている。一方で戦後そのイメージはナチスプロパガンダによるもので、ヒトラーに取り入ることが上手で前線では好き勝手をした軍人との説も流れた。本書は膨大な文献にあたり、ロンメルの実像はその中間にあったことを示したものである。

 

        f:id:nicky-akira:20210629202957j:plain

 

 エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルは、今のバーデン=ヴュルテンベルク州東部の街ハイデンハイムで1891年に生まれた。中産階級ではあったが軍人の家系ではない。数学などに才能を見せたロンメル青年は、18歳で軍に入隊する。志望は砲兵(数学能力要)だったが、歩兵に配属され後に士官候補生となる。

 

 この経歴が、優秀で勇敢な彼の将来を決めた。つまり、

 

陸軍大学校士官学校も出ていない。

・貴族でもないから騎兵に配属されない。

・ドイツ軍の中枢はプロイセン出身者が握り、傍流の地域出身だった。

 

 というハンディを持っての軍人生活が始まるのだ。第一次世界大戦ではアルプスでイタリア軍相手に奇襲を成功させ、指揮官先頭ゆえ何度も負傷しながら勲章を得た。しかし戦後は長く「万年大尉」で不遇をかこった。そこにヒトラーが登場、やはりプロイセン出身者の傲慢さを嫌う「ボヘミアの伍長」は、ロンメルを抜擢する。

 

 第二次世界大戦中のフランス戦線や北アフリカ戦線での活躍は周知の通りだが、上級指揮官の命令を無視した独断専行、奇襲の繰り返しで戦果は上げるものの、配下の犠牲も大きかった。著者は、戦術に天才的な冴えを見せ新技術・戦術も容易にマスターし、作戦級までは特筆すべき指揮官だが、エリート教育を受けていないためか戦略級では能力を発揮できなかったと結論づける。

 

 日本人の手になる「ロンメル研究」、面白かったです。