新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

日露戦争を決着させたもの

 昨日5/27は「帝国海軍記念日」、1905年のこの日東郷艦隊が対馬沖でバルチック艦隊を撃破、ロシアの海軍力を壊滅させて日本海制海権を握った日だった。海上では優位を得たとはいえ、陸上ではロシア軍は決して敗軍ではなかった。

 

 奉天会戦は事実上の引き分け。クロパトキン将軍は戦略的撤退をして寒さに弱い日本陸軍をシベリアの大地に引きずり込み、この年の冬には撃破できると自信を持っていた。日本軍の兵力は払底していて、もはやクロパトキン軍を撃破できる能力はない。

 

 日本側から見ての膠着状態を打破するには、ロシアという国の内部崩壊を促すしかなかった。ロシアのロマノフ王朝の市民からの支持はゼロに近く、恐怖・強権政治で押さえつけていただけ。農民・市民は飢えに苦しみ、革命を標榜したレーニントロツキーらは国を追われていた。

 

 周辺の国もロシアには敵対意識を持っていた。フィンランド地域を奪われたスウェーデンベッサラビアを奪われたルーマニア露土戦争の傷が癒えないトルコなどである。これらの反ロシア勢力を、何らかの形でロシア・ロマノフ王朝への圧力にするのが、陸軍武官明石大佐に与えられた任務だった。

 

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 黒田家の家臣だった明石家の次男坊元次郎は、子供の頃から「賢いやんちゃ者」。先祖に大阪の陣で活躍した明石掃部守がいる軍人の家系だ。陸軍士官学校時代、フランス語は首席、漢文・数学にも才を示した。一方、身なりをかまわないことで「汚れの明石」と呼ばれた。

 

 日露戦争開戦前から欧州に駐在した彼は、100万円の工作資金を得て、欧州中を駆け回る。まずストックホルムでロシアの反政府武官から、仲間の情報を得る。そしてレーニンはじめ多くの「反ロマノフ分子」に働きかけていく。案内役になったのは、仏系スイス人のマダム・ロレーヌ。30歳代の色っぽい美女で、二重スパイの噂もある女だ。明石大佐は警戒しつつも、彼女を伴ってスイス・ポーランドチェコハンガリーブルガリアセルビア・トルコなどを巡る。

 

 マダムは色仕掛けが明石に効かないと分かると、もっぱら「食い気」を満たそうとする。明石もつられて、シュニッツエル・ブルスト・海鮮グリル・ケバブなどを食し、現地の酒も楽しむ。

 

 彼の工作は、宮殿への砲撃などのテロ、戦艦ポチョムキンの反乱などを起こし、ロシアを屈服させた。日本が情報戦に強かった時代の、興味深い物語でした。