新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

明国を親とし薩摩を兄と(前編)

 「枯草の根」で江戸川乱歩賞を獲って文壇デビューした陳舜臣だが、ミステリーより中国の歴史ものが素晴らしい。「小説十八史略」や「秘本三国志」などをこれまでに紹介している。神戸生まれの台湾人である作者ゆえ、本書(1992年発表)の舞台琉球にも多くの思い入れがあるようだ。

 

 関ケ原の戦いが終わって8年、琉球国は薩摩の侵攻に怯えていた。国王尚寧は、明国からの冊封使を迎える準備をしているのだが、同時に薩摩の動向も窺わなくてはならない。琉球国は明国には独立国と見せて、琉球に封じてもらい朝貢貿易で利益を得ないと貧しい国ゆえ生きていけない。しかし、明国との貿易利権を奪いたい薩摩の軍事力には対抗できない。この100年、誰も武器をとって闘ったことなどない。

 

        

 

 一方薩摩は関ケ原で石田方についたため、取り潰しは免れたものの江戸城普請をさせられるなど資金が足りない。琉球領の奄美大島を占領する計画を立て、狸オヤジに申し出てみると「大島入ではなく琉球入」を許可されてしまった。精兵や鉄砲は用意できるものの、長期戦を闘う兵站はない。籠城戦に持ち込まれずにどう琉球を占領するか、島津家久らは思案を始めた。

 

 さらに明国も問題を抱えていた。秀吉の朝鮮侵攻を迎え撃って、これを撃退したものの膨大な人的・資金的損失を被ったのだ。それ以前から国力は衰退していて、冊封国朝鮮を守るためとはいえ痛手を受けてしまった。地方の軍勢の蜂起も相次ぎ、薩摩の琉球侵攻に援軍を送れるような状況ではない。

 

 尚寧王を支える謝名親方ら3人の重臣は「明国を親とし薩摩を兄とする」外交を維持するため、明国に特使を送るほか薩摩や徳川の動静を探ることに力を尽くす。直接闘ったのは豊臣政権だったとはいえ、明国と徳川新政権の関係は良好ではない。その狭間で琉球国は、瀬戸際外交を続けざるを得ないのだ。

 

<続く>