長期化するウクライナ紛争、その背景には一般の日本人が知らない「中欧」の歴史がある。本書は1994年出版の古いものだが、ポーランドと周辺の歴史に詳しい研究者広瀬佳一氏の著書。第一次世界大戦によって、オーストリア=ハンガリー二重帝国は崩壊、ポーランドやバルト三国も独立を果たす。しかしそれは「短い春」に終わる。
ポーランドはヤギェウォ朝時代、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナまでを版図に収めた大国だった。第一次世界大戦後のポーランド独立の英雄ピウスツキは、この時代の領土を復活させようと主にソ連と戦う。一方オーストリア=ハンガリー帝国の北の端にあるチェコとスロバキアは、一体となって独立を果たすがソ連に牙をむく気はなかった。
ヒトラーとスターリンは、第二次世界大戦前に領土拡大をあからさまにして摩擦を産んだ。より過激(オーストリア、チェコスロバキア併合等)だったヒトラーが、ポーランド侵攻によって第二次世界大戦の幕を開けるのだが、多分密約があったのだろうほぼ同時にスターリンもバルト三国とポーランドの東半分を占領する。
その後スターリンも予期していなかった独ソ戦の始まりで、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア等も枢軸中小国として参戦、このエリアは例外なく戦禍に巻き込まれることになる。独ソ両大国の思惑に影響されてきたこのエリアだが、この後は英ソ両大国、さらに1942年以降は米国も加わった「戦後体制議論」に翻弄されることになる。
英米からの軍事援助によってソ連がドイツを押し返し、戦争の帰結が見えてきた1943年末に、英米ソによるモスクワ外相会談、テヘラン首脳会談で大枠の方向性が定まった。ローズベルトとチャーチルは戦前の国境線を維持すること(自国には領土的野心はないこと)を合意していたのだが、スターリンだけは領土獲得を強硬に主張した。例えば、ポーランド東半分は貰うが、ポーランドはドイツからその分を奪えばいいということだ。
「中欧」を意識したポーランドとチェコスロバキアの連合構想や、ユーゴスラビアとギリシアの連合構想もあったのだが、結果はスターリンの意向が色濃く反映されてしまい。第二次世界大戦後の冷戦期に「東欧」という形でソ連支配を受けることになる。