新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

長編本格ミステリーの嚆矢

 E・A・ポーが創始したミステリーという分野、基本は短編小説だった。奇怪な事件や深まる謎を前に、天才的な探偵役が登場して明晰な推理を見せる。読者が驚きを冷めさせないうちに、物語は終わる。いくつかの例外を除けば、ホームズ譚のようにミステリーは短編だった。コナン・ドイルはホームズものの長編を4つ書いているが、短編ネタを中編規模に伸ばしたものとも言える。

 

 しかし1910年代以降、長編本格ミステリーの全盛期がやってくる。クリスティ、クロフツヴァン・ダイン、クイーン、カーらの専門作家の他、童話作家や高名な文学者も長編ミステリーを発表した。

 

        

 

 1913年発表の本書は、ジャーナリストだったE・C・ベントレーが生涯で1冊だけ遺した長編ミステリーである。本書は、謎解きとロマンスの両立を果たした作品と言われるが、名探偵の鮮やかな推理で幕を下ろさない斬新なストーリーが特徴だと思う。このような二重三重のプロットが、以降の挑戦者たちの指針になったと思われる。

 

 画家で高名な探偵でもあるトレントは、ウォール街の大立者マンダーソンが死んだ事件を捜査するよう依頼された。拳銃で左目を撃たれて寝室で死んでいたもので、盛装しているのに義歯はつけていないという不思議な状態。容疑は、隣室で寝ていた20歳以上年下の妻メイベルにかかる。

 

 莫大な資産がありながら吝嗇なマンダーソンは、誰からも嫌われていた。夫婦仲も冷え切っていて、遺産を相続するメイベルに疑惑の目が向けられるのは当然だった。事件を調べたトレントはメイベルに恋をしてしまい、彼女の容疑を晴らすために犯人とそのトリックを暴く。しかし、それは事件のベールを1枚剥いだだけのものだった。

 

 ロマンスとの両立の部分が、今にして思えば冗長かもしれない。しかし二転三転する展開は古さを感じさせない。作者は友人のチェスタトンに本書を献じているように、トリックには自信があったようです。長編ミステリーブームの嚆矢となった作品でした。