新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

何時なら対英米戦を回避できたか

 昨日、軍事ライター兵頭二十八氏の、技術・戦術面から見た日米開戦の状況分析「真珠湾の真実」をご紹介した。後年伝えられていたより、さらに日米間の戦力格差は大きかったことが分かった。それでは、なぜ無謀というより絶望の開戦に至ったか、高名な歴史探偵半藤一利氏の手になる本書(*1)を読んでみた。年代順に、

 

・ロンドン軍縮条約を巡る統帥権干犯問題

満州事変

二・二六事件

・盧溝橋事件から日中戦争

ノモンハン事変

・日独伊三国同盟

・開戦を論じた御前会議

 

 などが紹介、分析されていて、読者は真珠湾攻撃に至る道をたどることができる。対英米開戦を強引に進めたのは陸軍で、海軍はこれに引きずられたとされる定説を筆者は誤りと断ずる。陸軍は対ソ戦しか頭になく、対英米戦に積極的だったのは海軍である。

 

        

 

 ロンドン軍縮条約で対英米6割に戦力を制限された海軍は、真二ツに割れる。昭和5年のこの時点で、連合艦隊司令長官になった加藤寛治提督は「海軍に関する限り、対英米戦はすでに始まっている」と豪語していた。軍縮条約を守りたい<条約派>の幹部(*2)が追放され、好戦的な勢力が強くなっていた。

 

 陸軍も中国戦線が上手くいかないので、英米の圧力はなんとかしたいと思い始める。天皇をも欺き、開戦への道をひた走ったわけだ。面白い指摘が2つ。

 

1)メディア、特に朝日新聞は、当初は軍の横車を批判していたが、満州事変以降は(新聞が売れるので)市民を扇動して戦線拡大を後押しするようになった。

 

2)盧溝橋事件は中国共産党の陰謀だとする説があるが、筆者の文献調査ではやはり日本陸軍の仕掛けだった公算が高い。

 

 ではなぜ、海軍が昭和5年の時点で英米に反発したかというと、第一次世界大戦の戦後処理で英国に煮え湯を飲まされたからだとある。具体的には不明だが、それまで日英同盟で仲良しだったのが裏切られたのだろう。パレスチナ紛争を招いた英国の二枚舌など、かの国の「手のひら返し」は有名。それに怒ったというのが考えられること。1920年の時点まで遡り、英国の裏切りを受け止めるしかなかったのかもしれません。

 

*1:原本は1987年「昭和史の転回点」と題して出版されている。

*2:例えば名将の器と言われた堀悌吉