新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

太平洋の長距離戦闘機(前編)

 もうじき、真珠湾作戦から78年になる。世界一広い太平洋を巡って、2つの海棲国家が覇権を争った。当時すでに軍縮条約の期限は切れていたが、条約に定めた「英・米・日の主力艦等の比率は5・5・3」というのは割合実態を表していて、この3国が世界をリードしていたことは事実だ。陸のメインイベントが独ソ戦なら、海のメインはこちら。

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 ハルゼー提督が「太平洋に比べたら、大西洋などプールだ」と言ったように、この広い舞台では「手が長い」方が有利なのは間違いない。当時急速に進歩を遂げていた、飛行機への期待は高くなった。そこで必要とされたのは、航続距離の長い戦闘機だった。基地攻撃にしても艦船攻撃にしても、制空権がなければ効果が少ない。日本海軍は、長距離制空戦闘機として零式艦上戦闘機を開発・配備した。
 
◆三菱 零式艦上戦闘機 21型
 自重:1.7トン  エンジン出力:940HP  
 最大速度:530km/h  航続距離:3200km
 初飛行:1939/4
 
 エンジン出力が低いのが泣き所だが、軽量化(飛行士の防弾版もない)の甲斐あって、驚くべき航続距離と空戦性能を発揮することができた。米国との戦闘以前に中国戦線に投入され、圧倒的な戦果を挙げていた。これに対し、米軍の主力は、
 
グラマン F4Fワイルドキャット(海軍:艦上戦闘機
 自重:2.5トン  エンジン出力:1350HP  最大速度:520km/h  航続距離:1400km  初飛行:1937/9
 
◇カーチス P40ウォーホーク(陸軍)
 自重:2.9トン  エンジン出力:1150HP  最大速度:530km/h  航続距離:1440km  初飛行:1938/10
 
 航続距離については、半分しかない。参考までに、ドイツ軍の主力戦闘機Bf109Eでは、航続距離670kmとなっていて、日本海軍関係者からは「バッタ」と呼ばれていた。飛び上がって、直ぐ降りるの意味である。開戦当初、米軍は日本の戦闘機隊が方々に出没するので一体何個戦闘群いるのかといぶかったようだが、実は同じ部隊が航続距離を活かして東奔西走していたわけだ。しかし、米軍にも切り札がひとつあった。
 
ロッキード P38ライトニング(陸軍)
 自重:5.8トン  エンジン出力:2700HP  最大速度:630km/h  航続距離:3400km  初飛行:1939/1
 
 自重は、三菱97式陸上攻撃機(4.8トン)より重い。これを双発のアリソンエンジンが引っ張り、零戦より100km/h早く飛べる。機首部分に兵装(20mm×1、12.7mm×4)を集中した、恐ろしい火力も持っている。文字通りの重戦闘機である。
 
 開戦当初、軽戦闘機の極地のような零戦との対戦で、彼の得意な旋回戦闘に巻き込まれて被害を多く出した。米軍パイロットが、不慣れなせいもあったろう。ベテラン揃いの零戦パイロットたちは、簡単に落とせるので「ペロ8」と呼んで軽視していた。しかし、P38が重戦闘機の本来の戦い方である一撃離脱戦法をとると強敵であると認識せざるを得なくなった。
 
 上空から襲い掛かり、戦果が無くてもそのまま離脱する戦術では、逃げるP38に零戦は決して追いつけない。太平洋は、零戦の神通力が消えるにしたがって日本に不利になっていった。1943年4月、前線視察に出た山本長官を、長い航続距離を活かして「暗殺」したのがこの機体である。
 
<続く>