新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

Qの悲劇

 エラリー・クイーンは「災厄の町」以降、たびたびニューヨークの北に位置する田舎町ライツヴィルを訪れる。これは架空の街だが、エド・マクベインのアイソラとは違って、古い落ち着いた変化の少ない街である。住民はほとんどが知りあい。名家と認識されている家族が何軒かあり、「災厄の町」ではライト家、「フォックス家の殺人」ではフォックス家、そしてライツヴィル3作目の本書ではヴァン=ホーン家の事件にエラリーは関わることになる。

 
 古典的本格ミステリーの法則には、長編小説には殺人事件が必要で、事件はなるべく早く起き、探偵がそれを捜査することが求められている。作者としてのエラリー・クイーンも初期の頃はそれを守っていた。事件(つまり死体)はなるべく早く、ということで「エジプト十字架の謎」は、クイーン父子が小学校長の首なし磔死体が見つかった現場に立つシーンから始まる。

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 しかしライツヴィルものでは、全体の2/3ほどたっても死体が出てこない。それまでの間、窃盗・脅迫など犯罪は起きるのだが、肝心の殺人事件が起きる前にエラリーの意表を突く推理が出来上がっているくらいだ。
 
 作者としてのエラリー・クイーンが成長して、殺人事件がなくても読者を引っ張っていけるようになったということはあるかもしれないが、「古典的本格ミステリーの法則への挑戦」でもあると思う。
 
 さて本書だが、昔知り合ったハワード・ヴァン=ホーンが血まみれになってエラリーの書斎にやってくるところから始まる。ハワードは以前から一定期間行方不明になりその間の記憶がないという厄介な病気に悩んでいる。
 
 エラリーはおせっかいにもハワードの住んでいるライツヴィルに赴き、彼やその家族を援けようとする。登場人物は極めて少なく、細かな事件しか起きないのでこれが本格ミステリーかと疑わせる。しかし見えないところで、緻密・凶悪な陰謀が進んでいた。
 
 エラリーの推理のロジックは、キリスト教に馴染みのない僕などには思いもつかないものである。十戒と言われても、3つ4つしか覚えていないのでは、致し方ない。エラリーの推理も間に合わず、殺人事件が起きてしまい、犯人の自殺で事件はエラリーの輝かしい功績で終わったか、に見えた。
 
 しかし真犯人はエラリーの推理をあやつって(マニピュレーション)目的を達成していたのである。名作「Yの悲劇」にもマニピュレーションが出てくるが、後年のエラリー・クイーンはよくこの手法を使う。本書ではそれはエラリー自身に施され、1年後真相に気づいたエラリーは打ちひしがれる。
 
 本来、本格ミステリーの探偵役は神様のような存在である。しかし本書では「Queenの悲劇」に見舞われ、悲痛な叫びを残して去ってゆく。自ら「ブリキの神様」の役割はもうしない、と宣言して。本書は、探偵役という神様への挑戦でもあった。