新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

解決しない探偵

 ABCショップというカフェの片隅で、ミルクをすすりチーズケーキをほおばる老人。カカシのように痩せた男だが丸眼鏡の奥の眼光は鋭く、興奮してくると少し震える指で紐に結び目をつくったりほどいたりする。「イブニングオブザーヴァー紙」の記者ポリー・バートンを相手に事件の謎解きをして見せるこの探偵に、名前はない。

 

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 作者のバロネス(男爵夫人)・オルツィは、ハンガリー貴族の末裔と言われている。かなりの作品を残しているが、夫と共著した伝奇小説「紅はこべ」と「隅の老人シリーズ」を除いては、日本にはほとんど紹介されていない。このシリーズは1901年から1925年までの四半世紀にわたって書き続けられ、3冊の短編集となっている。本書は、その3冊の中から13篇を選んだものである。
 
 20世紀の初め頃、シャーロック・ホームズの亜流のような探偵は一杯出現した。隅の老人もそのひとりだが、かなりユニークな存在であった。オルツィは彼を「解決しない探偵」としてストーリーを組み上げた。
 
 この種の短編小説では、冒頭の事件、深まる謎、探偵役による急転直下の解決がお約束だが、探偵が「あっと驚く仮説」を出したあと官憲・法曹が納得する証拠固めが本来必要だ。しかし読者を驚かせたのでさっさと退場したい探偵役に、それを担わせるのは酷というもの。そんなわけで法廷で有罪を立証できる証拠もないのに、名指しされた犯人が自供するなどという(作家としての)詐術が使われることもある。オルツィは、この証拠固めの部分をカットできるようにしたのである。
 
 作中ポリーは老人に「警察に教えてやったら」と何度も言う。しかし老人は「そんな義理はない」とか「犯人の頭の良さに共感するね」とはぐらかしてしまう。したがって、最終篇「隅の老人最後の事件」を含めて、事件は迷宮入りしてしまうわけだ。
 
 短編ゆえ多くの登場人物はおらず、被害者のすり替えや犯人のすり替え、一人二役などによって真犯人がアリバイを主張するケースが多かった。霧や雨のロンドンで、ガス灯の淡い光の下で人間を確実に識別できないゆえのトリックばかりだ。科学捜査も全く出てこないが、無理もない。本格的に科学捜査が小説中に出てくるのは、オースチン・フリーマンの「歌う白骨」(1912年)からなのですから。