新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

小説中の死体も語るのか

 作者の上野正彦医師は、「死体は語る」などの著書で知られる元監察医。東京都監察医務医院長を最後に職を退き、書いたこれらの諸作が、法医学の書としては異例のベストセラーになった。僕自身も、珍しくハードカバー本を買って読んだものだ。

 
 クラシックスタイルのミステリーを読むと、死体が見つかりかなり早い時期に登場するのが「検死官」とか「検死医」という人。死体をざっと見て、「生き腐れのサバより良く死んでいる。死因?解剖してみないとわからないが、胸に突っ立てるナイフだろうね」などと軽口をたたいて死体と共に去る。
 
 たいていは高齢の医師で、居合わせた若い探偵(例えばエラリー青年)などは歯牙にもかけない。イメージとしてはフライトでよく見るドラマNCISのマラード医師(懐かしのデビット・マッカラム)。「死体は語る」は、ミステリーでは重要な役割ながら脇役だった「検死医」の視点から書かれた法医学の入門書だったから、とても面白く読めた。
 
 その上野医師が、自分では死体を検分することなく、実際の事件やミステリー上の仮想死体を取り上げてコメントするというのが本書のスタイル。最初に森村誠一著「精神分析殺人事件」が取り上げてあって、若い女性の刺殺死体のストーリーを引きながら検死医の目でこの書の解説をしている。医学が専門ではない作家としては大変怖ろしい話に聞こえるが、実は上野医師はこの本の解説を書いたことがあるのだそうだ。それをもちかけた、出版社と作者の勇気に敬意を表したい。
 
 また戦後最大の謎の一つと言われる「下山事件」について、50ページあまりを割いて詳細な分析がされている。被害者は細かく轢断されてしまっていたため、、事故死説、他殺説、自殺説に結論が出ていないのだが、著者はいくつかの検死記録から「他殺」を主張する。

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 著者は1984年に退官していて例えばDNA鑑定の本格運用は経験していないが、新しい技術を使わなくても死体そのもの、周辺の状況や、関係者の心理分析まで駆使して事件の真相に迫るのは興味深い。まさに「名探偵」である。
 
 ただ、有罪無罪を決めるのは法曹界ということで、法医学としては上記の状況を整理して「真相はXXの可能性が高い」というところまでだと割り切っているのがある意味いさぎよいように思った。法医学としての領分をわきまえたお話、ということです。