新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

容疑者はクロフツマニア

 フリーマン・ウィルズ・クロフツは英国の鉄道技師だったが、体調を崩して仕事を休んでいた時にミステリーに目覚めた。このあたり、米国の美術評論家ウィラード・ハンチントン・ライトとよく似ている。ライトはその後、S.S.ヴァン・ダインという筆名でファイロ・ヴァンスシリーズを書き、米国本格ミステリーの旗手となった。クロフツの方も1920年「樽」でデビューし、多くのミステリーを発表している。

 
 「樽」は英仏海峡を渡ってきた樽から、死体が出てくる話。ヴァンスのような天才的な(貴族的な)探偵ではなく、英仏両国の警官や探偵が地道に捜査をして容疑者を絞り込み、そのアリバイを崩すストーリーである。後世の評論家は、クロフツを「凡人探偵、アリバイ崩し」を最初に導入した作家としている。
 
 日本では鮎川哲也クロフツに触発されて、デビュー作「ペトロフ事件」を書いた。戦後の発表だが、なんと満州鉄道の時刻表を使った作品である。その後鬼貫警部と丹奈刑事を主人公にしたシリーズのひとつとして「黒いトランク」を発表。これは、死体を詰めたトランクの移動を利用したアリバイを警部らが崩していく、クロフツテイストの作品だった。

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 公共交通機関を使ったアリバイ崩しを追求し続けたのが、何度も紹介している津村秀介である。作者はいつか鮎川哲也の「黒いトランク」を越えるものを書きたいと思っていたはずだ。札幌のホテルで殺された美人画家。彼女には多額の資産を横領した容疑があり、その被害者の復讐ではないかと思われた。しかし容疑者は札幌で被害者に会ったことは認めたものの、事件当時はすでに北海道を離れていたと主張した。また被害者を殴った凶器も、事件の7時間前に札幌からスーツケースに入れられて宅配便で発送されていたこともわかる。
 
 容疑者のアリバイだけではなく凶器のアリバイ(?)に阻まれて、警察は容疑者に手が届かない。事件に介入した浦上伸介と前野美保は、容疑者がクロフツマニアであることを知る。何しろマンションの名前が「プラザ樽町」というので即座に購入したというほどなのだ。これは強敵だ、と伸介たちは考える。「黒いトランク」では、XトランクとYトランク、仮説上ではZトランクも登場して検討が進む。本書では、AスーツケースとBスーツケースがどう動いたか、が伸介&美保に突きつけられた課題である。
 
 作者が挑戦したのはクロフツの「樽」ではなく、鮎川哲也の「黒いトランク」だと思います。鉄道や飛行機を乗り継いだ容疑者のアリバイ、宅配便のシステムを利用した凶器のアリバイ、うまく組み合わされていて、とても面白かったです。