新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

機械仕掛けが一杯

 本書は、エリザベス・フェラーズの「トビー&ジョージもの」の第二作。以前紹介した「その死者の名は」に次ぐもので、同じ1940年に発表されている。作者は英国ではクリスティの後継者のひとりと称賛されているのだが、日本では「猿来たりなば」と「私が見たと蠅が言う」くらいしか名を知られていない。

 

 それでも東京創元社が「トビー&ジョージもの」は5冊ほど出版していて、僕もようやくそのうち4冊を手に入れることができた。本書は本棚に残った最後の「トビー&ジョージもの」である。このシリーズの特徴は、犯罪ジャーナリストという肩書きでさっそうとした青年探偵トビーが事件に挑み警察を出し抜く活躍をするのだが、最後の真相を暴くのは風采の上がらない(苗字も明かされない)ジョージ君だということ。

 

 本書でもジョージ君は「耳が悪くなった」と綿を両耳に詰めるシーンがあるが、狙いは関係者を油断させて盗み聞きをしようという作戦。刑事コロンボ同様、相手を油断させるのが芸である。

 

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 物語はある夜、トビーのところに知り合いの娘ルーがやってきて「理由を聞かないで15ポンド貸して、必ず返すから」という。彼女が嘘をつけない性格なのを知っているトビーは小切手を渡してやって、「殺してやりたくなるくらいお人よしだ」と彼女のことをジョージに説明する。

 

 ところが、彼女は翌朝自室で毒殺死体となって発見される。カギがかかった密室なのだが、あきらかに何者かの仕掛けた毒を飲んでいる。警察と共に捜査にあたる二人は、彼女が暮らしていた集合住宅に妙な仕掛けがしてあることに気づく。遠隔操作の銃器、毒ガス発生器・・・といったもので、部屋に外側からカギをかけた痕跡も見つかった。

 

 1920年ころまでのミステリーでは、機械仕掛けのトリックが多用されたことがある。この時代にはもうそれは時代遅れなのだが、作者はそれを逆手にとってこれでもかと機械仕掛けを並べて見せる。以前のミステリーのパロディのようでもある。

 

 解決そのものは複雑とは言えないが、打って変わって心理的な推理の積み重ねだ。作者は機械仕掛けのパロディを描きながら、心理推理ものに仕上げる挑戦を本書でしたかったのだろう。なかなか意欲的な作者ですが、あと1冊シリーズものではない名作「私が見たと蠅が言う」しか本棚に残っていません。大事に読むことにしましょう。