あえて題名は言わないが、TVの検察ものドラマを見ていて「ちょっと外れすぎ」だと思った。確かに「型破りな検事が・・・」と宣伝されているが、いくらなんでも日本の検察官には見えない。そこで10余年前に読んだ本だが、本書(2000年出版)を本棚から出してきて再読した。
著者の佐々木知子氏は出版当時自民党参議院議員。司法試験合格後検事に任官、本書のバックボーンにもなった「国連アジア極東犯罪防止研修所:通称アジ研」での講師役などを務めた後、検察を退官し弁護士登録。1期だけ参議院議員を務めた。現在は弁護事務所経営の傍ら、いくつかの企業の社外取締役なども務めている。面白いのは松木麗の名前で横溝正史賞を獲った作家でもあること。
そんな著者が「日本では法廷ものは書けない」と本書の冒頭述べている。それは日本では殺人などの重大犯罪が少ない上に司法制度が極めて精度が高く、冤罪などほぼ起きないからである。10万人あたりの殺人件数は米国6.6件に対し日本1.0件、検挙率は米国66%に対し日本95%。日本の検察は念には念を入れて証拠固めをするし、必要とあれば起訴猶予する権限も持っているので、いざ裁判となったときの無罪率は0.1%未満。これでは「逆転無罪を勝ち取る」ペリイ・メイスンのような弁護士の活躍は、ほぼ期待できない。
「アジ研」は各国の司法担当・修習生が集うところで、20世紀中に2,000人以上の卒業生を産んだという。そこでの著者の体験から、各国の司法理念も知ることができる。英国は検察の役割が小さく、令状なしでも警官が被疑者を逮捕できるし有罪無罪五分五分でも訴追できるとある。そういえば英国ミステリーで検察官の主人公と言うのは記憶がない。
陪審制度にも触れていて、自分が訴追されたら陪審制度を望むかどうか修習生たちに聞いたところ、
・真犯人だったら、陪審制度
・無実だったら、職業裁判官
を選ぶという答えだったとある。僕も賛同する。本書出版の少し前に司法制度改革が行われて、粗製乱造司法修習生が日本に溢れた。著者もその教育にあたって困ったという。曰く「まっとうに日本語が読めない」のだ。著者が後輩の育成に責任を持たないといけない検事職を辞めたのは、それが一因かもしれない。
今は陪審制度が普通になり、粗製乱造検事・裁判官が闊歩する時代です。筆者に会う機会があれば、どうすればいいか聞いてみたいです。