新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

危機管理人生の原点

 1997年、香港返還の年に発表された本書は、昨日「目黒警察署物語」を紹介した初代危機管理監佐々淳行氏の香港領事時代の記録(記憶?)。筆者は30歳前(当時警視)に領事として香港に赴任、現地で次男・三男が生まれている。赴任当時は「返還まで30年ある」と思っていたのが「30年しかなかったのだ」と、家族そろって1996年に香港旅行をして感じたとある。

 

 海外赴任を打診されて即座にOKしたのもつかの間、後藤田警備局長からケネディ大統領暗殺事件の現地調査を命じられ「Mission Impossible」と感じながらも、必死の思いで完遂したとある。のちの後藤田官房長官との縁は、当時からあったようだ。

 

        

 

 香港は物価も安く住みよいところだが、九龍地区の麻薬問題などは深刻。それ以上に問題だったのは、日本から政界・財界・学界等のVIPが(海外のマナーも知らず)大挙してやってくること。これらの対応に忙殺されているうちに、大事件が起きる。

 

 1966年の集中豪雨(死者・行方不明者約90名)を除けば、事件の多くは北京政府の動向による。筆者は当時の文化大革命を「発狂」と評している。1966年のマカオ事件は、ポルトガル側が退いて鎮静化したが、1967年の香港暴動は北京系中国人が反英国で起こしたもの。治安維持のための英国人は300人ほどしかおらず、グルカ兵を交えた2万人が暴徒を迎えうった。

 

 当時の北京政府は「まず台湾統一、その後香港・マカオソ連との国境紛争に片を付ける」戦略を持っていたが、香港の北京系住民を抑えきれなかったらしい。筆者たちは在留邦人約3,000名の保護のために奔走する。その中で伊藤忠がとった「資産リストを作っておいて、略奪させたいだけさせよ。何年後かに北京政府に賠償を求めればいい」との対応に、筆者は感嘆している。

 

 また英米らが艦隊を派遣する中、佐藤総理(当時)は海上自衛隊の出動も準備させていたとあります。憲法上出来ないはずなのに・・・。温故知新の危機管理実践、面白く読ませてもらいました。危機管理のコツは、

 

・大きく構えて、小さく収める

・火急の事態においては、知識よりは知恵が重要

 

 でした。