新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

技術の公平な配分という難題

 2022年発表の本書は、政治社会学・応用倫理学を専門とする堀内進之介氏の自己追跡技術の解説書。デジタルデータを使った社会構造改革の話かと思って買ってきたのだが、内容はかなり哲学(倫理)的。しかし決して技術排斥や危惧を叫ぶものではなく、筆者のスタンスは、技術を推進する立場でいながら、それを批判する立場も評価したもの。

 

 スマホ歩数計に象徴される様々なツールが実用化され、定量化された自分(QS*1)が得られるようになった。さらに社会や他人との関係も定量化(QR*2)出来るようにもなった。すると、やるべきなのだが出来なかった(例:減量、禁煙)ことに取り組めるようになるなどいいこともあるのだが、次のようなリスクも出てくる。

 

        

 

1)新自由主義化:出来たはずなのにやらなかったから、結果は自己責任

2)測定、管理化:測定できるものばかりに注意が向き、他はおろそかになる

3)交換、互酬化:カップルの相互監視アプリのように、信頼が(道具的)信用になる

4)市場、商品化:マスデータとしての価値が上がり、商品化する。特定機関が台頭

5)依存、能力退化:便利なツールによって、人間本来の機能が必要なくなる

 

 データエコノミーが新自由主義に直結する論理展開には驚いたが「機会や資質は充分あったのに貧困なのは自己責任」と明示されるとすれば、その通りである。生成AI(本書ではソクラテスAIと呼んでいる)にも触れていて、その利点を認めながら、社会に望ましい結果をもたらす場合とそうでない場合があるとして、

 

・設計者には、中立化させるための道徳(倫理)を求め、

・利用者には、設計者へのフィードバックを求める

 

 としている。結論として、このような技術は社会的弱者、貧困層にこそ優先的に展開すべきであり、少なくとも「技術の公平な配分」が必要だとある。

 

 なかなかに深淵な書でした。しかし現実問題として情報強者がツールやデータをより活用するので、公平な配分というのはとても難しいです。さて・・・

 

*1:Quantefed Self

*2:Quantitative Research