新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

愛憎をからめた女王の短篇集

 本書は、女王アガサ・クリスティ初期の短編集。1924年からぽつりぽつり発表されてきたものを、1930年に編纂している。登場するのは、

 

・70歳前で人生の観察者を自称する小柄な紳士サタスウェイト

・浅黒い長身の紳士以上の記述がないハーリー・クイン

 

 の2人。サタスウェイトは全編の最初から最後まで登場するから彼が主人公かと思うと、題名は「The Misterious Mr. Quin」となっている。1ダースの短編が収められていて、クインは少しだけ登場しサタスウェイトに事件解決のヒントを与えて、はにかみながら姿を消す。表紙の絵にあるように風貌もわからない「影の薄い名探偵」である。

 

 作風はというと、とりたててトリッキーだったり意外な犯人を暴くようなことは少ない。愛憎や「哀」の動機によって起きた事件を、優しく解決するようなパターンが多い。この作品集には、カネ目当ての犯罪は一切出てこない。

 

        

 

 実はこれらの作品が産まれた時期、女王は家庭問題を抱えていた。最初の夫アーチボルト・クリスティとはうまくいかず、1926年には失踪事件すら起こしている。悩んだ女王はシリアスな愛の物語を書きたかったが、良い探偵役がいない。若いトミー&タペンスでは明るすぎるし、官憲の出番ではないからバトル警視もだめ、自己顕示欲の強いポアロではもっとだめ。そこで登場するのが、長い人生経験をもったサタスウェイトと、彼にヒントだけ与えるクインというコンビだったのではないか。

 

 「鈴と道化服亭にて」は、珍しくクインが最初から登場する。過去にこの付近で起きた軍人失踪事件を2人が議論するうち、大陸から渡って来た親子3人の犯罪者の話になっていく。

 

 後年女王がメアリ・ウェストマコット名義で普通小説を書いたり、ポアロらが過去の事件を追う「回想の殺人もの」が増えてくる、前触れのような短篇集でした。