新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

湾岸戦争(戦略編)

 イラククウェート侵攻をしたとき、世界最強アメリカ軍の統合参謀本部議長の職にあったのは、コリン・パウエル将軍だった。ジャマイカアメリカ人であるパウエル将軍は、黒人として初めて軍のトップに昇り「ガラスの天井」を破った人物である。

 

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 統合参謀本部というのは、アメリカ4軍(陸軍・海軍・空軍・海兵隊)の参謀本部を統合したもので、国防長官の直下にある組織。ここの決定が、アメリカ軍の戦略行動を定める。パウエル将軍は退役後、回顧録を著わし統合参謀本部議長としてどのように考え、行動したかを公表している。本書によれば、ブッシュ政権は比較的早く事件の衝撃から立ち直り「砂漠の盾」作戦を遂行したようだ、
 
 実はこの時期、アメリカ軍は最大の敵ソ連軍を「ソ連崩壊」で失い、ある意味虚脱状態にあり、軍縮に向かいつつあった。前に書いたように、サウジアラビアアメリカの重要な同盟国である。当時の新鋭戦闘機F-15を供与している数少ない国のひとつだ。まず、イラクのサウジ侵攻を防がなくてはいけない。サウジは大国であり、フセインイラクとしてもクウェートのように簡単に落とせる相手でないことは認識しているだろう。
 
 しかし少なくともサウジ国内の動揺を防ぐことは必要で、それにはアメリカ軍の派遣は必須だった。クウェート侵攻のその日から、パウエル議長の奔走が始まる。どの戦力をどうやってサウジに運ぶか、軍縮ムードで弛緩しかけていた軍の士気をどう鼓舞するか、4軍を管理する議長の腕の見せ所だった。
 
 パウエル議長、チェイニー国防長官、スコウクロフト大統領補佐官(安全保障)そしてもちろんブッシュ大統領らは、何度も意見を戦わせて「砂漠の盾」作戦を遂行する。まさに「事件は会議室で起きていた」のである。アメリカ軍を中心とした多国籍軍は、空前の戦力をサウジに集めた。戦争とはほとんどが「兵站」であり、戦力を誇示することでイラクに撤退を迫った。パウエル議長らが集めた戦力は、
 
◆陸軍 兵士56万人、AFV5,000両、武装ヘリ300機
◆海軍 空母・戦艦を含む艦艇80隻、艦載機300機
◆空軍 戦闘機・戦闘爆撃機戦略爆撃機・空中哨戒機など2,000機
 
 イラク軍は兵士やAFVの数では優るものの、海軍は無きに等しく空軍の極めて劣勢である。武田信玄の言う「まず勝ちて、のちに戦う」体制が整いつつあった。着々と戦力強化が図られる中、例によってTVの報道番組は有識者を引っ張り出して、多国籍軍の戦力分析・イラク軍の行動予測・多国籍軍が防御から攻勢に転じる時期を議論させた。朝日新聞の田岡氏は米軍の主力戦車M1A1エイブラムスの燃費(!)を持ち出して、反撃の時期を予測した。当たり前だが、戦車の燃費は非常に悪く、おおむね500m/リットルと思えばいいらしい。
 
 5,000両のAFVが戦闘行動をしながらバクダットまで到達する燃料はこのくらい必要、それを運ぶタンカーの能力はこのくらい、よって年内の攻勢は無理とのことだった。一部11月開戦という人もいたが、田岡氏はこれを否定。新年1月以降しか兵站が整わないという。
 
 多国籍軍が戦端を開くとすれば、まずイラク軍のレーダーや主だった軍事拠点への空爆から始まることは分かっていた。それには夜が暗くなる新月の時期がいい。1月の新月は15~17日だった。だから僕はこの時期に開戦すると、オフィスで話していた。
 
 新年になり、15日は土曜日だった。クウェートの深夜は日本では朝だ。朝からTVをかけっぱなしにして開戦の報を待ったが空振り、翌16日もそうだった。 17日月曜日は上司と出張が入っていて、新幹線の待合室でもTVを見ていたが報告はない。上司からは「お前の予想は外れたな」と馬鹿にされたが、出張先での会議中にその報がやってきた。後に「砂漠の嵐」と呼ばれる作戦の始まりだった。
 
 当然2月にも新月の夜はある。しかし2月に空爆を開始すれば、地上戦は3月にズレ込む。砂嵐の時期になるし、ラマダンも近い。どうしても1月に空爆を開始する必要があると見ていた。上司には細かいことは説明しなかったので「占いが当たった」くらいにしか思われなかったが、シミュレーション・ゲームで得た軍事知識は無駄ではなかったと、ひとりで満足していた。
 
<続く>