新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

正統派ハードボイルド

 ダシール・ハメットは、従来のミステリーの探偵があまりにも現実離れしていると考えて、プロの探偵を登場させた。「血の収穫」の主人公「おれ」はコンチネンタル探偵社のサラリーマン探偵。「マルタの鷹」の主人公サム・スペードは、仲間とふたりで探偵事務所を経営している。二人ともドライで、腕っぷしが強い。事件は荒っぽいものになり、解決(するかどうかも怪しいが)は力業になる。

 

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 レイモンド・チャンドラーも、現実的な探偵小説を書こうとして、孤高の私立探偵フィリップ・マーロウを世に送り出した。彼はカネの多寡ではなく、引き受けるべき事件かどうかを(かなり直感的に)判断して、事件の渦中に身を投じる。本編でも「鏡を見ると崖からクルマで飛び降りそうな顔をしている」と、自分で言っている。
 
 ハメットの探偵たちと同様行く先々で死体や銃弾に遭遇するが、少し違うのは「無私の姿勢」だと思う。マーロウには、自らの欲とか利権を得ようという意識はない。また、事件の解決に執念を燃やすというタイプでもない。直感的に善悪を見抜き、自分の直観を確かめるために「捜査」をしているように思う。警察に拘留されたり、ヤクザに銃を向けられたりしても警句を飛ばして平静を装っている。そう、彼はいつも装っているのだ。究極の「やせがまん物語」なのかもしれない。
 
 彼のホームグラウンドはロスアンゼルス、その中でもハリウッドに近いところらしい。本編では、映画界に巣食う怪しげな男女が次々に出てくる。冒頭カンザス州から出てきた田舎娘が、行方不明になった兄を探してほしいと言ってくる。カンザスアメリカという国家のど真ん中にあるドライ・カウンティだ。彼女はパイプを吸い、ウィスキーを飲むマーロウに眉を顰める。マーロウすらカンザスの田舎娘にとっては「堕落した」男なのだ。
 
 マーロウはいろいろな誘惑や脅迫にも負けず、真相に迫りその過程でハリウッドの暗部が抉り出されてくる。チャンドラー自身長くハリウッドで仕事をしていたから、このあたりは迫力がある。解決にいたる推理のプロセスも書き込まれていて、現実的だが暴力だけではないミステリーに仕上がっている。僕はハメットの連作はミステリーかどうか疑問を持っているが、チャンドラーは立派なミステリー作家だと思う。