新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

明るいスパイ物語

 イギリス人の好きなもの、年金・バラ・庭園づくり・紅茶・ミステリー。引退後は田舎に住み、土づくりからガーデニング、とりわけバラを作ってそれを眺めながらお茶の時間、雨が降ればロッキングチェアでミステリーを読み、そのうちにうとうと、というわけ。

 
 ミステリーもフランス流の暗いものやアメリカ流のバイオレンスたっぷりというのは、お好みに合わない。優雅な生活をおくる貴族の館で起きた密室殺人、素人探偵がこの謎に挑む・・・などというのが宜しい。もうひとつ好ましいのはスパイもの。後年イアン・フレミングが007シリーズを出して映画もヒットして世界的に人気が高まるが、このシリーズ徐々に「超人スパイもの」になってしまった。

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 イギリス本来のスパイ小説は、もっと落ち着いた「外套と短剣」ものに端を発する。文豪サマセット・モームが、自らの経験を書いたとされる「アシェンデン」などがその代表である。G・K・チェスタトンの「木曜の男」は、イギリス流正統スパイもののパロディとも言える。
 
 ミステリーの女王アガサ・クリスティーもスパイ物が大好きで「チムニーズ館の秘密」「茶色の服を着た男」「ビッグ4」などたくさんのスパイ物を書いた。彼女はデビュー(1920年のスタイルズ荘の怪事件)早々の1922年、最初のスパイ物を発表した。それが本書「秘密機関」である。
 
 第一次世界大戦が、多くの犠牲者を出し欧州全体に傷跡を残して終結して間もないころである。本書も、第一次大戦の大きなトピックである、ルシタニア号撃沈のシーンから始まり、当時の連合軍の機密文書を巡る暗黒組織のボスと「青年冒険家商会」の若い2人(トミー&タペンス)の闘いを描いたものだ。
 
 作家はデビュー作は「書きたいものより売れそうなもの」を書く。デビューしなければ始まらないからだ。そこで伝統的な名家(スタイルズ家)の事件に、奇妙な外国人探偵(ポワロ)をからめて、意外な犯人という結末を書いた。これが好評を博したのちは、本当に書きたいものに着手したのだろう。20歳代前半の2人、知恵も勇気もあるけれどお金がなく「冒険家商会」を作って危地に飛び込んでゆく彼らの明るい冒険を、クリスティーは描きたかったのだろうと思う。
 
 クリスティーも当時30歳そこそこ、自らの結婚生活はあまりうまくいっていなかったようで、彼女の理想のカップルを描いたのではないかとも思う。トミーとタペンスは、その後ひとつの短編集と3つの長編に年齢を重ねながら登場する。
 
 本書に限って言えば、スパイ物としてはやや荒唐無稽でミステリーとしては(ひねた読者には)底が浅く物足りないものである。ただ、明るい青春小説と思えば、微笑ましくも見えてくる。あとトミーとタペンスものは3冊買ってあるので、少しづつ楽しみながら読むことにしよう。引退したイギリス人のように。