新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

女王が帰るべきところ

 「ミステリーの女王」アガサ・クリスティーは膨大な著作とファンを世に残したが、私生活は最初から幸福だったわけではない。ミステリーデビューに先だつ1914年、彼女はアーチボルト・クリスティー大尉と結婚(当時24歳)した。第一次大戦が終わり、1920年に「スタイルズ荘の怪事件」でデビュー、1926年に「アクロイド殺害事件」でミステリー界に大論争を巻き起こしたのだが、同年母を失い失踪事件まで起こした。

 
 その後1928年に離婚、この短編集が出たのが1929年だから、家庭的には不幸のどん底にあった時代である。クリスティーのレギュラー探偵は、エルキュール・ポアロミス・マープルを双璧に何人かいるが、その中でも彼女自身が「ありたい家庭」を求めたのが、トミー&タッペンス・ベリスフォード夫妻だと思う。トミー&タッペンスものは、5作(長編4とこの短編集)しかない。

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 (1)秘密組織 1922年
 (2)二人で探偵を 1929年
 (3)NかMか 1941年
 (4)親指のうずき 1968年
 (5)運命の裏木戸 1973年
 
 ポアロミス・マープルは年齢不詳で、いつの作品であるかを問わず同じように作中で行動する。いわば「ゴルゴ13」「サザエさん」のような存在である。しかしトミー&タッペンスは19世紀末ころに生まれた幼馴染であり、(1)でスパイ活動に興味を持って事件み巻き込まれ(巻き込み?)物語の最後に結婚する。
 
 結婚して退屈をかこっていた二人に、カウンターインテリジェンスの誘いがあり、それが本書であるがさほどにシリアスな内容ではない。スパイものというよりコミカルサスペンスで、背景がスパイものという程度である。
 
 面白いのはトミー&タッペンスの夫婦愛(&なれあい)である。口では結構罵り合っているが、信頼関係は揺るがず、どちらかの危機の時も相手が援ける形になっていく。軽妙な会話の中に、二人の信頼関係(愛ともいう)が見え隠れするのが微笑ましい。思うにアガサが愛のある家庭を描き、この二人を見つめていこうと決めたのだろう。二人は(2)~(5)と発表年に応じて年齢を重ね、成長していった。
 
 アガサ・クリスティーは1930年に14歳年下の考古学者マックス・マーロワンと再婚、86歳で亡くなるまで仲睦まじく暮らしたらしい。この短編集にはいろいろなチャレンジがあるが、一番大きいのはアガサ彼女自身が「かくありたい夫婦関係」を描いたのが一番のチャレンジだったように思う。トミー&タッペンスこそ、ミステリーの女王が帰るべきところだったのだろう。