新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

北大西洋、水面下の攻防

 ソ連崩壊前夜の北大西洋、最新鋭原子力ミサイル潜水艦「レッド・オクトーバー」が亡命の意図を隠して処女航海に出発する。その日から延べ18日間の米ソ両国の暗闘を描いて、トム・クランシーは衝撃のデビューを果たした。非常に豊富な兵器についての知識、第三次世界大戦もかくあろうかという両軍の戦略的・戦術的構想、両国首脳やスタッフ(含む諜報部門)の思考プロセス、いずれもリアリティに満ちたものだった。

 
 主役であるタイフーン改良型原子力ミサイル潜水艦はもちろん架空のものだが、排水量3万トンを超え30基近い戦略(核)ミサイルを搭載している「最終兵器」である。静音推進器「キャタピラー」という新兵器も持っている。このころ「東芝機械事件」というのがあり、日本から流出した技術でソ連の潜水艦の騒音が軽減されている。潜水艦は見つかればもろいものだ。逆に言うと静粛なソ連潜水艦というのは、大きな脅威である。
 
 最終兵器を預かったラミウス艦長は出航後邪魔者の政治局員を殺し、全士官を統率して米国への亡命行に出発する。政治局員の名前が「プーチン」というのが面白い。亡命の試みを知ったソ連軍は、全艦艇を投入してレッド・オクトーバーを捕捉もしくは撃沈しようとする。

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 実は共著者ともいうべきラリー・ボンドは名うてのシミュレーションゲーマーであり、クランシー自身もゲーム嫌いというわけではないだろう。1970年代に流行し始めたシミュレーション・ウォーゲームはこのころ流行のピークを迎えていた。かくいう僕も、1980年代には輸入もののシミュレーションゲームを買いあさったものである。ゲームの中には第三次世界大戦の海戦ものもいくつかあり、本書はそれらをプレイして構想をえたのではないかと思う。
 
 登場する兵器は、実に多様だ。イギリス海軍の軽空母インビンシブル、その搭載機ハリアー、(海戦に登場するとは思えない)A-10攻撃機、最後の戦艦ニュージャージー等々兵器オタクの匂いもする。
 
 作中印象深かったのは、米海軍に救助されたレッド・オクトーバーの乗組員が、米国の生活に驚くシーンである。スーパーマーケットにはモノがあふれている、個人で車もコンピュータも持つことができる、経済的に恵まれていなくても大学には行けるなど、いずれもロシア人には信じられないことなのだ。
 
 共産主義ソ連はなぜ倒れたか、面白い分析をした人がいる。曰く「市民の自由は束縛する代わり、衣食住は保証するという統治システムで運営してきたが、それが経済的にできなくなった」ということ。だから、豊かなアメリカ経済に驚いたのだろう。
 
 ところがそれから30年、そのアメリカが揺らいでいる。大学を出た時には3,000万円近いローンを背負ってしまう若い人が珍しくないという。豊かなアメリカは遠くなってしまったようだ。その不満・不安が今回の大統領選挙に現れたのかもしれない。共産主義ソ連と同様、資本主義アメリカの統治システムにも危機が迫っているのだろうか。