新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ドイツスパイ網との闘い

 かつてイギリス出張の時に機中で見た映画「ダンケルク」、陸海空の独立した視点からセリフをぎりぎりまで排除して、そこで何があったのかを映像で示そうという意図がある作品。実際の現場となったダンケルクで、撮影をするという徹底ぶりらしい。

 
 このときヒトラーの機甲部隊や戦術空軍は、最高の戦果をあげつつあった。大陸軍国フランスが第一次世界大戦の教訓から構築した要塞線(マジノ線)に拠って戦ったのに対し、機動力の高い軽戦車や装甲車、精度の高い地上攻撃が可能なJu-87「シュツゥーカ」を駆使して機動戦を仕掛けたのである。
 
 ベルギー・フランス国境を突破したドイツ軍は、フランス軍の一部とイギリスの大陸派遣軍をドーバー海峡の街ダンケルクに追い詰めた。イギリスはヨットや漁船まで動員して、彼らをブリテン島へ撤退させた。これが歴史に言う、ダンケルクの闘いである。

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 ヒトラーは敵対する島国イギリスには、まず諜報戦を仕掛けた。特に海峡に近い南部の海岸線にはスパイ網を構築して、イギリス軍の配置や重要拠点の調査をさせたという。本書はそんな1940年の春、イギリス南部の保養地リーハンプトンを舞台にしたスパイ戦の模様を描いている。
 
 といっても、主人公はあのトミー&タペンス・ベリスフォード夫妻、第一次大戦直後に「秘密機関」で素人スパイを決め込んだお二人である。40歳代半ばになった二人、双子の子供たちも成人して、前線や情報機関で闘っている。
 
 自分たちも、御国のためか好奇心のためかは別にして、何かしなくてはと思っていたところに、ドイツスパイ網を摘発する仕事が舞い込む。リーハンプトンの怪しい下宿屋「無憂荘」に変名で寄宿した二人は、下宿人たちの品定めを始める。
 
 ドイツからの亡命者、頑固な退役軍人、病気の転地療養に来た夫妻、子供連れの夫人等々、怪しいと思えば怪しく、普通の人と思えばそう見える容疑者たちの行動に、トミー&タペンスや読者は振り回される。そして物語は、意外なスパイの頭目が現れるクライマックスへ向けて進んでゆく。
 
 本書の発表は1941年、まだドイツ軍の方が優勢で、もしかしたらイギリスも占領されるかもと思われた時期である。アガサ・クリスティーはそんな折、明るい素人スパイであるトミー&タペンスを主人公にイギリスの勝利を確信したかのような小説を書いたわけだ。本来はもっとシリアスなテーマなのに、この二人が出てくると楽しく読めてしまうのが、クリスティ女史の魔術なのでしょう。