新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

パリ解放記念日8/25

 1971年、本書によってフレデリック・フォーサイスはデビューし、それまでの軍事スリラーやスパイものを一気に時代遅れにした。作者はイギリス人だが、子供の頃から大陸に親しみドイツ語やフランス語も堪能、空軍パイロットを経てジャーナリストになり国際舞台で活躍した。そんな彼が第一作に選んだテーマは「ド・ゴール暗殺」。

 

 第二次世界大戦開戦時、フランス軍の機甲部隊大佐だったド・ゴールは、フランス降伏後イギリスに逃れて対ナチス戦争に加わった。自由フランス軍を率いた彼は1944年8月25日にパリへ入城、この日は戦後フランスの解放記念日となった。

 

 将軍となった彼は大統領にも選ばれたが、熱狂的な人気を誇るもベトナムアルジェリアからは撤退を余儀なくされた。特に300万人のフランス人が住むアルジェリアが独立したケースでは、戦争で犠牲になった軍人や現地人からの恨みを買った。1960年代初頭、退役軍人や右翼が結成した秘密軍事組織OASは、ド・ゴール暗殺を6度試みて6度失敗した。

 

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 OASも政府内に内通者を持っていたが、政府の調査機関もOAS内に諜報網を張っていたからだ。OASの指導者ロダン大佐らは暗殺はOASと何の関係もないプロの殺し屋によるしかないと考え、イギリス人の殺し屋「ジャッカル」を雇うことにした。

 

 50万ドルという金額で暗殺を引き受けた「ジャッカル」は、OASに一切の協力を求めず、単独で改造銃や銃弾、複数のパスポートを手に入れ、各種証明書や変装の道具をそろえる。その入手法や闇の銃器屋や偽造職人とのやりとりは、恐ろしくリアリティがある。

 

 OASの方も50万ドルを用意するため、フランス中で銀行強盗など荒っぽい稼ぎをし、ロダンたち幹部はウイーンやローマに逃れる。OASのわずかなミスで「ジャッカル」の存在を知ったフランス内相は、敏腕ルベル警視に全権を与え捜査を開始させる。ルベル警視は各国の捜査機関に「殺し屋の心当たりはないか」と問い合わせ、一人のイギリス人が捜査線上に浮かぶ。

 

 解放記念日にはド・ゴールは必ず式典に来ると考えた「ジャッカル」は、8/25に暗殺を決行することにし、死んだイギリス人、デンマーク人牧師、アメリカ人青年、フランス傷痍軍人と次々に姿を変えパリに潜入した。

 

 550ページが短く感じられる傑作で、40年ぶりに読んだのに覚えている箇所がいくつもありました。