新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ドイツ人とナチス

 イタリアの事情は知らないが、第二次世界大戦の敗戦国ドイツと日本の戦後には、ある程度共通したところがある。それは「戦争責任」を国全体で背負うというより、特定の勢力/集団に負わせたことだ。日本ではそれは軍部や戦犯であり、ドイツではナチス党である。

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 こういう戦後処理には、合理性がある。第一次世界大戦後の処理がまずかったから20年で再び大戦が起きたし、米ソの対立も見えてきて第三次世界大戦の可能性も否定できなかった時代である。
 
 日本と(2つの)ドイツ全体に責任を背負わせ白眼視するより、「普通の国民に責任はない」として味方に引き入れる方が、米英だけではなくソ連にも好都合だったわけだ。もちろん、両国の国民も受け入れやすい話である。その代償として、「悪役」にされた集団にはある意味不当なほど厳しい目が注がれることになった。外国からだけではなく、国内からも、である。
 
 昨年、ドイツの高官が「砂漠のキツネ」と呼ばれたロンメル将軍を礼賛するツイートをして論議を巻き起こしたという騒ぎもあった。ただ「ナチスによって自殺を強いられたエルヴィン・ロンメル氏は74年まえの今日亡くなった」と伝えただけなのに、ナチスという言葉に敏感な人たちが反応するなど事件となったらしい。
 
 ロンメル元帥は第一次大戦のイタリア戦線ですでに戦果を挙げているが、第二次大戦の電撃戦で第七師団を率いて英仏軍をダンケルクに追い詰めた。その後北アフリカ戦線の指揮を執り、たった3個師団(第21、第15、第90)で英米の大軍を翻弄した。「砂漠のキツネ」とは英軍が敬意をこめて付けた愛称である。鮮やかでフェアな指揮ぶりを、敵軍までもが賞賛している。
 
 軍人としての彼に問題があるとすれば、それは使う方だったろう。戦略的に大きな意味のない北アフリカ戦線になど関わらず、ロンメル軍団をまっすぐモスクワに向けるべきだったのではないか。・・・と「第三帝国」というゲームをすると、僕はいつも思う。
 
 ロンメル元帥を、ヒトラーは重用した。しかし彼がナチス党員になることは、生涯なかった。普通に故国の先輩/英雄についてふれただけなのに騒ぎになるとは、ドイツ人のナチスアレルギーも相当なものですね。