新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ホームズ、ディケンズの謎に挑む

 名探偵の代名詞と言えば、シャーロック・ホームズだろう。1887年に「緋色の研究」でデビューして以来、作者コナン・ドイルの名は知らなくても、彼が創作したホームズの名を知らないものはいまい。ドイルはホームズものの諸作で「サー」の称号を得たが、なんとか縁を切ろうと滝つぼに落とすなど彼を「虐待」した。

 

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 ホームズマニアのことを「シャーロッキアン」と言うし、その贋作を書く作家も後を絶たない。本書もそのひとつ、作者のピーター・ローランドについては他の翻訳本もミステリー作家としての情報もない。首相ロイド・ジョージの伝記や英国史に関する著作はあるようで、歴史作家なのだろう。恐らくは作者も「シャーロッキアン」で、作中ホームズとワトソン博士が、「後に僕らの服装をした人たちが、この辺りをうろつくぞ」と会話しているのが微笑ましい。
 
 さて本書が並みの贋作と違うのは、扱っているテーマが未完に終わった小説「エドウィン・ドルードの謎」の解決をこころみるものであることだ。文豪ディケンズは、友人ウィルキー・コリンズの「月長石」に触発されてミステリーを書くことにし、連載小説の半分まで書き進めたところで体調を崩し亡くなった。残されたのは後半(解決編)のメモと挿絵だけ、多くの作家が解決編を世に問うた。
 
 「エドウィン・ドルードの謎」の絶筆(舞台も)は1870年、本書ではドルード青年の失踪から二十余年後、ホームズがこの事件の解決を依頼されるところから始まる。本書の発表は1991年なのだが、およそ100年も前の設定なのに筆によどみがなく、ホームズ・ワトソンコンビの雰囲気はそっくりそのまま生かされている。さすがはシャーロッキアンの歴史作家である。
 
 「エドウィン・ドルードの謎」は、欧米の読者には身近なものなのだろうが、僕は読んだことはなく本書のどこまでがディケンズの筆で、どこからがローランドの筆なのかはわからない。しかしその継ぎ目らしきところにも不自然な感じはなく、すんなり読めた。いや仮に贋作でも、新しいホームズ譚が読めるのならいいものですよね。