新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

おりんでございやす

 本書は横溝正史の作品の中でも、映画化されてマニア以外の人にも知られた作品である。舞台は例によって岡山県、特に本作では岡山弁が目立つ。岡山方面の言葉には、尾張の方言に似た表現がある。ひょっとすると昔は近畿地方を中心にこの種の方言が広く普及していて、後に「関西弁」が出現して真ん中を治めたのではないかとも思われる。

 

 名探偵金田一耕助は、静養のため旧知の磯川警部の紹介で、総社の奥にある山村「鬼首(オニコベ)村」にやってきた。警部が親しくしている「亀の湯」の女主人リカが、温かく迎えてくれた。時代設定は1955年ごろ、日本中が戦後復興の最中だがこの山村では戦前からの因習が根強く残っている。

 

 村には2軒の富豪があって、長く勢力を競ってきた。由良家は田畑を沢山持ちかつては支配者だったのだが、農地改革で田畑の大半を失って衰退気味だ。一方の仁礼家は山林を多く所有していて、大正時代にブドウを栽培を始めてのし上がってきた。1932年、世界恐慌のあおりで不況だった村に口舌の達者な男恩田がやってきて、村の産業としてモール造りを提案する。

 

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 当初はうまくいったこの事業、結局は高価なモール製作用の機械を売りつけられただけで終わってしまった。恩田を怪しんだ「亀の湯」の主人が糾弾しに行って殴り殺され、恩田は逃亡してしまうのだ。この事件は駆け出しだった磯川警部が担当し、迷宮入りになったものだ。

 

 それから20年余り、村の娘たちが「手毬唄」の詩に合わせた格好で殺される連続殺人が発生する。それは、村の「お庄屋さん」と呼ばれる世捨て人のところに、5番目のつまだったという女性が戻ってきてから起きた事件だ。耕助は総社へ続く夜の山道で、「おりんでございやす。お庄屋さんのところに戻って参りました」とつぶやく腰の曲がった老婆とすれちがっていた。

 

 本格ミステリーとして名作であることはもちろんとして、金田一耕助ものは地方の因習について勉強させられることが多い。本書でも、神戸で活弁士をしていた「亀の湯」の主人は賢いのに家業が卑しいとして軽く見られたとある。そんな因習に古来の「手毬唄」がおどろおどろしくからんで、怖い映画になっていた。でも自分で「おりん」とは言わないよね。「りんでございます」が正しく、これだけでこの老婆が偽物だとわかってしまいますよ。